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>Josefさん、バジル二世さん
ご無沙汰しております。お二人のご意見、それぞれに(各所に)感じるところあります。
それはまた、日を改めて書いてみようかなと思っております。
TPPは正月のJosefさんもお書きになっていました。
そのとき自分も思っていることを書こうかなと思ったのですが、
いざ書くとなると逡巡するんですよね。でも、今回は書いてみます。
何しろ私の思っていることは、まるで明後日の方向ですから。
TPPに参加したほうが良いのか悪いのか、私にはやっぱりわからない。
参加したからといって、仮にそのほうが国益にはかなうとしたところで、やはり「犠牲者」は続出するわけでしょう? かつて主要燃料を石炭から石油へと舵をきったときのように。
もちろん、石炭主力を続けておれば、その後の日本はないわけでして、その判断は間違っていようはずもない。だけど閉山の嵐の凄まじさというのは、その嵐の後で育った世代である私にとっても、かなり身近に感じられることでした。今でもなお、というべきか(旧産炭地のすぐそばの街ですからね)。
何となく、そういうのを思い浮かべてしまうんですよね。だから、仮に参加賛成派の人々のいうことが「正」であったとしても、「真」としてどうなのかな、と。それが、まずひとつ。
次に、それでも私は「あの交渉には参加すべき」と考えています。「ともかく、その交渉の席には着くべきだ」というものです。ああいう席に参加することでしか得られない情報や動向をむしり取って来てほしいわけですよ。また、そうした交渉のテーブルを通じた外交的な人脈関係もどんどん増やしてほしいのです。
もちろん交渉の場に参入するうえでは、たとえポーズとしてでも「TPPに加わるつもりだ」という意思表示は必要でしょう。「加わるかどうかわからんけど、その話の輪には入れてくれ」などということはできないでしょうしね、事の性質上。
そのくらいは、国家として上手く(ずるく)やれよ…と思うのです。もちろん、参加派の人たちを主力に、真剣に加入を目指して交渉してもらって構いません。でも、現代日本はかなり進んだ近代国家でしょう。政府間交渉で妥結した内容であっても、議会で批准しないということだってできるではありませんか。反対派の人たちは、世論を喚起して議会での締結否認を目指せば良いのです。交渉への参加それ自体を、拒むべきではないのではないでしょうか。
こうしたことを何故考えるかというと、近代日本の歴史を振り返るにつけ、我が国はこういう交渉事が苦手としてきたからなのです。政府も、そして国民もです。戦前で言えば海軍軍縮交渉とかね、言い出したらキリがありませんが。その状況は戦後はむしろ、さらに微温化されていないでしょうか。
たしかに国民性というか、民族感情、のようなものがありますね。欲の皮で突っ張ったハゲタカどもの醜い交渉事、そういう席に座すことを心良しとしない…とでもいいましょうか。
それ自体は、日本人の心の奥底にある矜持とも言えましょうし、そうした矜持は保つべきだとも思います。が、そうした矜持、なにも国民のみながみなというわけでもないわけですしね。この種の矜持は「武士の痩せ我慢」という面が強いわけですし。
交渉事ですからね、必ずしも満足な結果に終わるとも限りません。あまりにもそれはこちらが不利すぎると国民の多くが判断するなら、先にも書いたように国会で批准しなければいいのです。
ところがそれ以前に、どうも日本人は悪い意味で純粋というか、ああいう交渉というのはともかく公平であるべきだという思いが、強すぎるように思えます。もしもそこで、我が国に「やや不利な」と思われる内容であれば、即座に交渉者を糾弾し、即時脱退を考えてしまうというか。…交渉事というのは、締結と更新と改定の連続事だと思うのです。
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