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猫まんこさん、
>正々堂々と勝負をして、相手が勝ったのであれば相手の方が実力が上。日本人が負けた事の十倍は新聞紙面を使って褒め称えればよい。
>そうすれば、礼節を重んじる武道としての柔道は自然に立ち上がるのではないでしょうか。
いや、本当に凄いと思った時に相手を褒め称えるのはいいけど、思ってないのに褒め称えるのは嘘臭くて嫌ですけどね。「こいつは凄い!」と思ったら、たとえ敵であっても仄かな尊敬の念が、時には憧憬すら湧いてくるもので、大橋を一蹴したリカルド・ロペスを見た時は、何もできなかった大橋を貶す気にはなれず、すっかりロペスファンになっている自分がいました。柔道の場合、そういうのがないんですよ(100キロ超級のリネールは凄いらしいけど見てない)。
ところで、「礼節を重んじる武道としての柔道」はそのローカル性に支えられていたと思います。つまりローカルであるがゆえに明示不要の暗黙的了解事項がいろいろあって、それを皆が守るというところに成立していた。破る奴がいたら「非礼」の一語で排除することができた。仮に相撲が国際化されてオリンピック種目にでもなれば、競技者はルール上許されることは何でもやって勝とうとするでしょう。「非礼」というローカルなペナルティワードは通用しない。これじゃいかんというので色んな禁止事項が設けられ、それでも競技者は禁止の網をくぐって勝つ方法を見つけ出し、さらに新たな禁止事項が追加され…、という繰り返しとなって、結局ローカルだった時代の相撲とは似ても似つかぬものになっていくでしょう。国際化というのはそういうことだと思います。(昨今の相撲の国際化というのは外国人を入れるようになっただけで、彼らを相撲というローカル・ルールに「同化」させているのが現実だから上の国際化とは意味が違います)
だから国際化というものを「日本の文化を世界に広める」などと甘く考えてはいけないわけで、確かに文化の一部は広まるかもしれないが肝腎の部分は消え去る可能性が大きいのです。それでもいい、という決断をもって国際化は目指されるべきで、それではいけない、というなら国際化ではなくローカリティをしっかり守ることに力を注ぐべきです。
話が逸れちゃってますが、柔道の国際化については、今さらどうこう言ってもしょうがない気がするし、しょうがなくないとしても一傍観者にすぎない私にとってはどっちでもいいことです。ただ、日本の伝統的武道としての柔道と国際化とは相容れないだろうと思っています。
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