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Josefさん、
>「『縮み思考』だろうが、心配なものは心配」というバジル二世さんの言葉ををおかしいと言うつもりはありません。個人レベルでは「縮み」を志向する方が合理的であるという状況がかれこれ20年くらい続いています。
シカゴ学派の依拠する経済主体の「合理」が証明不能なのは先の引用にもありますね。ただし、これはそれぞれが臆測も加へての色んな情報に基いて全体の「予想」「期待」を生み、現実の力として市場に影響を与へるとの基本認識があります。
その妥当性を判断する上で一つの指標になると思ってゐるのが、今月終はりに予定されてゐるFOMCです。アメリカのFRBが金利を決めるのですが、今利上げが取り沙汰されてをりますね。
断定的に語るのは危険ですが、シカゴ学派は利上げ待望が出た段階で、その将来の利上げ「予想」で株価が下落し、もし利上げが発表されたら実現によるその予想の冷却から上昇に転じると予測します。据ゑ置きなら更なる下落予測でせう。
通常ケインジアンは、利上げが実現した段階では設備投資ほかを冷やすと考へ、経済減速を予想して、株価下落を予想します。据ゑ置きならば、利上げを免れたと云ふ気分で株価上昇予想ですので、少なからず違ふと思ひます。
有り合はせの株知識をひけらかすのは、増税なりを悲観する消費者の買ひ控への「合理」も同じだと思ふからです。先の教科書に両派経済学の論争は長引くだらうとありますが、私の大きく頓珍漢である可能性が高い読み筋はどう云ふ結末に?
>(最近は「一億総活躍」などとまた変なことを言い始めました)。
どうしても引っ掛かるのは「需要<供給」の状況下の供給刺激が癌だったのだと簡単に言へるのかってことです。交ぜ返すみたいですが、「需要」「供給」ともに意味がよく判りません。
例へば土地資金の総量規制が銀行の担保価値を減じ長い不況に繋がったのはよく言はれますが、地権者の細かい土地を集めて開発業者に売る「地上げ屋」を需要側、供給側のいづれとしても、仰る市場の需給政策の問題の反例となります。
その様な事柄によってまだら模様の需要・供給の強弱の関係を、或いは刺激・制動の匙加減をどうして一括りに仰ることができるのでせう。さらに言へば、デフレ下では供給刺激が何でもかんでもいけないとも言ひ切れないと思ふのです。
例へば、お米の銘柄が色々出てきたのは、自主流通米を認めた食管制度の自由化のお陰で、これなんかはもろに供給の刺激によって新たな需要を掘り起こしたと考へます。それが無ければ米は消費者に見放されてゐたと云ふ話も聞きます。
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