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Josefさん、
>>例へば土地資金の総量規制が銀行の担保価値を減じ長い不況に繋がったのはよく言はれますが、地権者の細かい土地を集めて開発業者に売る「地上げ屋」を需要側、供給側のいづれとしても、仰る市場の需給政策の問題の反例となります。
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>私は少し違う解釈をしています。土地バブル崩壊の引き金を引いたのが「総量規制」だったことは確かで、ここまでは問題なかったと思います。バブル狂想曲を踊っていた人たちがコケただけですから(バブルはいずれ崩壊するもの)。問題は土地バブルをインフレと見て政府(日銀)が金利を引き上げたことでしょう。それでなくても不良債権を抱えて慎重になっている金融機関に対して、金利引き上げ政策は「貸すな」というメッセージになります。
私がこの話で気持ちが疼くのは、やっぱりあの頃の一人としてこのバブル潰しに両手を上げながら今は評論家然として、その過去を忘れてゐたりする辺りかな。親父は都心まで毎日数時間の通勤をしてゐたのだけども、何せ首都圏とあって土地の相続が酷いことになると風説が流れてゐました。まあ、その尻馬に乗っての賛成です。
それに景気の過熱感がやっぱり極度に強くて、地方では高い給料が出せる都会に人手を奪われて事業継続が不可能になったりなんてこともあって、金利引き上げ万々歳って空気に同調してゐました。その様に褒められたものではない来し方で、ご自身強調なさってゐる土地バブル対処と物価対策の峻別などはしてをりません。
>80年代をバブルと結び付けて連想するのは後世の見方で、当時は、高度成長はとうの昔の話になり、2度のオイルショックをなんとか乗り切って、これからは低成長の時代だと言われていました。別の面からいえば、低成長であっても大多数の国民が十分暮らしていけるという豊かさと余裕を達成した時代でした。
「バブルとはその中にゐる当人たちには誰にも判らない’」とは名言だと思ひます。バブルとは日本と英語圏で崩壊後用ゐられる様になった言葉でその頃は騰貴とかspeculationが使はれたと思ひますが、記憶する限り「花見酒の経済’」などと危惧したマスコミは一紙だけで、ほかは特に株なんかがバブルと喝破されるのは見ませんでした。
>ところが、土地高騰という一部の強いインフレ状況に対して、総量規制でやめておけばよかったものを、金利大幅引き上げという経済全体に影響を与える全面的なインフレ対策をやってしまった、つまり過剰反応をしてしまったのだと私は解釈しています。
友人の経済学徒が地価対策実施前に担保価値の減少を通じて金融を巻き込んだ大不況に繋がるだらうと警鐘を鳴らしてゐたのに、その様なバブル退治が妥当か疑問を感じなかったのですが、若くてある経済階層の利益代辯者である愚に気付きませんでしたね。
>アメリカは日本の失敗に学んだと思います。というのも、住宅バブルの崩壊(リーマン・ショック)後、金利に関しては、かつての日本がやったのとは逆に、下げましたね。これはバブル崩壊後のデフレを防ぐ対策だったと思います。
アメリカは株急落に直面したからこそさうした目的意識が持てたのですよ。日本は過熱した景気の冷却などを求める民意他に押されての施策で、デフレ対応との位置付けでは本来、ありません。日本の利上げの開始は株価が落ち始める前、アメリカは後です。
デフレに対策を打つべきかや規制緩和についての評価では、Josefさんと私には立場に開きがあるのですが、一点だけ認めないといけないのは、景気浮揚と国の借金対策を両立する一つの正解が、経済成長すなはちGDP増加だと云ふことです。
そこで「財政出動」が果たしてその「経済成長」に本当に繋がるのか、「シカゴ学派」として疑問を述べた次第です。つまりご主張の政策により人々に将来に確信のないままでも消費拡大と成長があると証明がなければ、景気も上向かず債務も積み上がる危険が大きいです。
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