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rakusyunnさん、
万物は流転する、と言われると、まあそうかもねと思うのですが、この言葉が意味をもつとすれば、なんだかんだ言っても私たちは「万物流転」とは逆の「同一性」を前提にモノを考えたり行動したりしているからかもしれません。
「同一性」つまり「昨日Aであったものは今日もAであり明日もAであるはずだ」というふうな信憑なしには、たぶん社会も個人も成立しない。しかし私たちはしばしば同一性に拘りすぎて、争いを起こし、社会も個人も窮屈にしてしまう。そこで、過度な同一性に対する解毒剤として「万物流転」やそれに類する物の見方も同時に必要とされてきたのではないか。
ところで昔うちで飼っていた猫は、家の中では甘えてくるくせに、外で出会うと「だれこいつ?」みたいな顔で私を見る。近寄ると逃げる!
奴らは時や場所が変わると対象を同一とは見なさない、「万物流転」を頭ではなく体で知りぬいているのだ。
・・・と今考えてみました。
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