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2. 天皇の「政治利用」について
衆議院解散が総理大臣の「専権」と言われるようになったのがいつからかはっきりしませんが、根拠となっているのは日本国憲法第七条(第三項)のようなので、いまさらですが、見ておきます。
*第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
*一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
*二 国会を召集すること。
*三 衆議院を解散すること。
*四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
*(以下略)
挙げられている国事行為は日本国憲法下の代議制民主主義政治の遂行に不可欠なことが並んでいます。それを、神事は別として、内閣が実質面を担い、日本国の象徴である天皇が形式面を担う、という形になっていると考えられます。
これらの国事行為のうち、第三項「衆議院を解散すること」が内閣による解散権の最大の根拠のようです。内閣は総理大臣が組閣するものだから、実質的には総理大臣の「専権事項」である、という解釈でしょう(解散に反対する大臣がいれば罷免すればいい)。
しかし、今回のような(前回もですが)「勝てそうな時期」を狙った解散がはたして憲法の意図の範囲内にあるといえるでしょうか。衆議院解散について、任期満了以外で憲法が明確に規定しているのは第六十九条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」だけです。
おそらく憲法は第七条において自由な解散権の行使を想定していません。むろん、当初は想定されていなかったことであっても、必要に迫られれば行わねばならないことはあるでしょう。しかし、憲法第七条の主体が天皇であることが示すように、衆議院解散は天皇を担ぎ出す行為なのだから、少なくとも天皇に敬意を抱く者であれば、その行使には極力慎重であろうとするでしょう。でないと、ある意味、天皇の政治利用になってしまいます。
総理大臣の解散権を「専権」とする言い方が広まったのは比較的最近のような気がしますが、ずっと前から「伝家の宝刀」とは呼ばれていました。「伝家の宝刀」ならまだ分からなくはありません。「伝家の宝刀」はみだりに抜くべきものではありませんからね。対して、「専権」という言葉には、自分だけがいつでも行使できる当然の権利、といった独裁的な思い上がりが感じられます。ここ20年ほどの構造改革、トップダウン志向の強まりとセットになっているのではないでしょうか。
衆議院解散が総理大臣の「専権事項」であるとは、天皇は総理大臣の恣意に従うロボットであれ、という思い上がりではないでしょうか。
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