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>>「暗殺は暗い」と司馬遼太郎は書きましたね。
>>さう云ふ色の付いた言葉で括るべきなんだらうか?
>>価値判断を厳に戒めるべき時でせう?
以下斜め讀みしただけ、朝日紙上での東野氏の主張も把握しませんが、↓
>暇空茜さんと東野篤子先生の間に起こったトラブルについてまとめてみた
h t t p s ://togetter.com/li/2095662
「戒めるべき」か否か、故安倍氏撃殺への先行評價ではなく、「戦時動員の議論」とやらについて、大見榮を切った樣に見える東野女史の鼻持ちならなさです。自分に意見した元朝日記者に↓みたいな意味不明を仰います。
>「議論を呼びかけた段階で何かの方向性が決まっている、だから議論も危険」という社会こそ変えていかなければならない
>「議論の呼びかけにはそれ自体で何らかの結論が先にある」という警戒は良い
ええと、「『警戒』するのには私は反対だけれども、『警戒』する権利は保証する」って綺麗事とどう違ふのか。「あなたの発言には反対だが、あなたが発言する権利は命をかけて守る」とかのヴォルテールだか、とです。
さう宣言してくれても、私には何の保證もありません。では、例へばあなたが殺人犯であると私が主張してあなたが違ふと苦言する時、それはあなたに反對する私の權利の剥奪とどう違ひます? 云ひ包めようとしてるだけ。
>「メスになった青識」と批判。(すべての始まり)
と云ふ暇空さん原因説は、纏めた人の不用意です。彼が嫌ふヴォルテール的?丸め込みを青識氏がやってきたかどうかであり、女史への不快發言ではありません。そして實際に座右の銘の如く繰り返し、周圍を説いてゐます。
>核に関する議論などが良い例かもしれませんが、
>「議論をすること自体が危険視される」ことは、今の日本ではまだまだ多いのではないでしょうか。
↑の女史の發言も、「核の議論そのものを封印すべきでない」とか開戰後云ひ出した故安倍氏と同じで嘘です。その代表格、核非武装論が十分世の表でなされてゐるのですから。實際にはその自由は侵害されてなどゐません。
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