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しゅうさん
>不便さばかりが目立つなら、変わるのも時間の問題ですね。
その方式の発信側にとっての「目立つ」不効用ではなく、見過ごされがちな受信者への大きな効用が大事だと考へます。別姓派から見た「不便」を並べるけど、別姓・同姓の人に関はらずの正しい呼称の見当の付けやすさです。
同姓なら一家の一人の名字を知ってゐれば全員を同じくそのさん付けで呼べば間違ひません。さう云ふ固有名詞の造りです。翻って別姓は、田中さんの母親が佐藤さんとか、その子供から想像したり、記憶したりが困難です。
言葉ってのは、送り手と受け手の両方のものですよ。「いいは悪い」「いひは悪い」「ゐいは悪い」と書き分けるのが面倒臭いからと謂って「いい」と表音式で書くなら、読み手に「良い」「謂ひ」「井伊」だと判りません。
仮名文字だけの文学が理解され続けたのも正仮名遣のお陰です。判読性と云ふ読み手の便利さを顧ない書き手の都合ばかりが新仮名、周囲からの呼び易さを無視して名乗る当人だけの都合を優先するのが別姓ではありませんか?
戸籍名「佐藤さん」ではなく「田中さんのお母さん」と呼ばれた傷心を、別姓が託つ社会構造の所為にするのを見るけど、上記の得失は権力の差に由るのではありません。それで実社会のその波瀾を抑へてゐるのも、同姓です。
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