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> しかし、「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているの
> ではなくて、個々人の人生設計を大規模に規定している社会制
> 度を問題にしているのだ」という主張が真であるならば、「男
> らしさ女らしさ」を問題に挙げるはずがありません。なぜなら、
> 個々人の意識を離れた「らしさ」がありえるのかどうか、それ
> を考えたらわかるはずです。
問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?
「男女別の固定的な人生設計」といった言葉にした場合、人生設計上の大きな選択(主婦や主夫になるかどうか、子どもを作るかどうか、育児をどうするか、など)しか対象とならない点が問題だと思います。それより小さな日常生活上のことでも「男らしさ・女らしさ」の規範に従わないといろいろと不利な扱いを受けることがあり得るわけで、「人生設計」だけに限って差別的な制度の是正を訴える理由がないと思います。
> しかし、男女共同参画社会と銘打たれた教育や啓発で、特定の
> 男女観「男らしさ女らしさではなく」を生きる人たちが称揚さ
> れたり、「男らしさ女らしさに縛られないように」とか「男ら
> しさ女らしさを押し付けないように」と指導されたりするのは
> おかしい
それには完全に同意します。
ていうか、わたしがそんな啓発を支持するとでも思いましたか? そんなバカな。
ただし、
> まったく「ジェンダーに中立な制度」になっていません。
これは文字通り同意できません。なぜなら、現に特定の「男らしさ・女らしさ」が優遇されているときに「中立」の立場に立つことは、結局現在優遇されている層がそのまま優遇され続けるということになるからです。「中立な制度」を実現するための施策が一時的に「中立」よりも「これまで不利だった側を優遇」する形になることはありえます。
わたしは必ずしもジェンダーの規範の問題においてそうするべきだと主張するわけではありませんが、論理の問題として「中立」を実現するための施策が「中立」ではなくても容認されることもあるという点は指摘しておきます。具体的にどういう施策なら容認されるべきかというのは難しいところであり、個別に議論すべきでしょうが、必ず「中立」でなければならないという事には同意しません。
> 「ジェンダーに中立な制度」を謳い、それを政府と国民の責務だ
> と規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に「個々
> 人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度に
> なっている」という指摘が、まさに雛祭り騒動に象徴される問題
> に直結するんだ。それが根拠ですよ。
直結しているというくらいだから、そういう「働きかけ」の実例を提示してくださいと何度も言っているのですが、ひな祭りに関しては一度も証拠が出て来ない。それはやっぱり、直結「していない」のではないかと考えざるを得ないです。
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