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>>で、いくつか確認のための質問してあるんで、私の投稿にもたまにはレスくださいね。(tpknさん)
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>個人的にはtpknさんの次の問いに興味があります。macskaさんのお考えをこのパンフに即してお聞きしたいと思います。
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>>では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いったい何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになるの? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という「自省」のどんな補助になるわけですか?
わたすはイジワルなので先に答えを書いておきます(笑)。
「押しつけ」「決めつけ」になる場合は、その男の子なり女の子なりが雛祭りや端午の節句のほうがいいのに、とか思っている場合。そして押し付けにならないようにするには、子供のそういう気持ちを明示的に確認し、それを尊重して希望通りにしてやる場合。
でもそれってまだ自我もジェンダー意識も固まってない幼児の育て方としては、どっちかというと間違ってんじゃないの?
ママゴトが好きな男の子って普通にいますよね。私もそうでした。だからといって私のジェンダーが女性に近くなったかといえば別に全然そんなことはないわけで(いや、あるいはそういう部分も大きかったかもしれないけども)、それって周りの慣習やジェンダー規範との差異という形でしか認識できないんじゃないの? で、それこそが「自分らしさ」なんじゃないのかね。
雛祭りや鯉のぼりを押し付けてませんか?とか、男の子らしい名前や女の子らしい名前をつけてしまってませんか?とか、そういう色の服を選んでませんか?とか、そういうナンセンスきわまりない「例示」を、問いかけや自省のための材料だと言うけども、いったい何を問いかけるのか、中身が何もないじゃないですか。
その子供がどんなジェンダーを持っているか(あるいは将来にわたって維持するか)を、子供服着せるような年齢の頃から見極めろということかい。
んなの原理的に不可能、かつまったく不必要な啓発に決まってんじゃん。
で、そういう内心にかかわる無理難題を行政が「やりましょう」と言うのは、それ自体が押し付けに決まってるでしょうが。
macska、いったいどこがリベラルやねんwww
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