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芥屋さん:
> じゃなくて、
> 3)雛祭りを取りやめた幼稚園が出てきた。
> です。
ああ、そっちでしたか。
しかし、幼稚園がひな祭りを実施するかどうかはそれぞれの幼稚園の判断で自由に決めれば良いのではないですか? その意思決定に、なんらかの無視できないほどの外部からの圧力があったというなら実例となるでしょうが(そのような例は文科省調査では報告されていません)、「ひな祭りを取りやめた幼稚園が出てきた」だけでは実例にはなりません。
> で、それも含めてあなたの見解はすべて論破されているの
> に、うわごとのように同じことしか言えないあなたのプロ
> パガンダに付き合う必要はないわけね。
わたしから見ると、あなたが論破されたように見えるのですが、それはわたしたちのどちらかが判断できることではないですね。第三者が勝手に判断すれば良いことです。
> ・・・。で、何で同じ内容でも教育行政ならいいのだ?ワケワカンネ
わたしは教育行政でも批判的です。
ただ、批判的だけれど全面否定はしません。だって、行政ってそもそもそんなモノだもの。ジェンフリ以外でもさんざん押し付けがましい啓発運動をいろいろやっているわけで、ウザイと思いつつそんなに真剣に受け止めたりしないモノです。それは教育も同じで、そもそも教育が生徒の側から見ればウザイ押しつけなんですから、その中において特筆するほどの問題でもないと思います。
> あのー・・・黙って態度で示すのも教育なのだが。「教師自
> 身が子どもたちを性別によって違った扱いをしない」と行動
> で示せば、たとえそれを無言で実践しても「ジェンフリの価
> 値観を子どもに教えるという形」ではあるんだけど。
たしかに、教師の行動を見て生徒がそういう価値観を学ぶ可能性はあるでしょうが、それは別に構わないんじゃないでしょうか。というか、生徒にとって教師だけが唯一の参照元なのではなく、世の中にいろいろな人がいる中で特に教師の行動に影響を受けるとしたら、それは生徒自身が自主的に選び取ったと考えて良いのでは。
> でもさ、その一方で「子どもたちを性別によって違った扱い
> をする」のも大事なことでね、子供には男女の違いを教える
> ことも必要なんだから、ジェンフリ教育なんて反対されるに
> 決まってるの。
ま、そういうワケで、わたしもジェンフリにコミットしているわけではないんですよ。わたしが先に書いたのはあくまで「ジェンフリ教育というものを行なうならば、こういう実践でなければならない」という事であり、ジェンフリ教育が素晴らしいんだとは書いていません。
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