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macskaさん:
>これは極端な例ですが、このことからも分かる通り出所が分かったとしても「実例」として認められるか認められないかは文脈次第。文脈も分からないのに認めるかどうか問われても困るわけです。
何を問われているか全然わかってないですね。私が言っているのは、出所が明らかになってそれが「基本のき」に類するパンフと同じものだった場合、ですよ。
なぜそういうことが問題になるかというと、ここで私は「×」の印がはっきり書いてあることを問題にしているからです。それが右翼の出版物に載っていたものだとしたら、右翼がジェンフリパンフを読んで「×」と解釈し、図示したものだということになりますよね。この場合、証拠としては認められないというのはわかります。
ただし、それは「×」を見て、「ああなるほど、こういう例があったのなら証拠と言えますね」とあなたが認めていた場合のみです。ここで初めて「撤回」の意味が出てくるわけですよ。あのときは証拠と認めたが、出所が全然違うじゃないか、そんなものは無効ということね。
でもあなたは、この図を私が提示した通り「基本のき」のものと想定して、「×」の有無は無関係という論法で擁護したんですよ。たとえ×が描いてあっても、本文の文脈を見ればそういう意味でないことがわかると言ったわけです。
だとしたら、あなたの論にとっては図における「×」の有無はその出所とも証拠能力とも関係なく、したがって現物を探してきて、それが「×」という視覚効果を伴う図を掲載していたとしても、あなたは本文の文脈によって好意的に解釈するのが当然と言ってくる可能性があるわけ。
図というのは、本文に書いてあることを別の方法でシンボライズしてわかりやすく示すためのものだから、仮にジェンフリパンフに載っていたものだとしても、本文に「雛祭り=×」とはっきり書いてない可能性のほうが高いわけです。「×」も「イコール」もです。「イコール」が書いてないから「ウソつき」だと言い、「例」と書いてないから「例示じゃない」と言う揚げ足取りをするあなたは、ではいったいどんなものを持ってくれば「証拠」と見なすのかと問うているのです。
直接的に「雛祭りは押しつけだから中止せよ」「雛祭り=×」と*本文に書いた*ものを持ってこなければ「証拠」とは認められないというのなら、そんなのあるわけないでしょうと言うしかないです。そして、それをもって「証拠は一切なかった」などという、そんなクソウヨ論法で押し切ろうとするあなたの不誠実さに失望するのみです。
「兵士は慰安所で慰安婦を強姦せよ」と書いた軍の命令書が必要ですか? それとも、「南京市民を何人処刑した」という軍の記録が必要ですか?
そういうことを聞いてるわけ。
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