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>芥屋さん:
>>(”安保闘争”を導いたのは丸山でもあったのに、←…文化人集会で講演。その後、数万人のデモに)「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、」と「回想談話」で言っているらすいのでした。
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>それって、いつ頃の慨嘆なのかなぁ。東大紛争で学生に研究室を破壊され、吊るし上げを食らった前後なのかな?「戦前の右翼学生でもこんなことはしなかったぞ!それを君達は!!」とか何とか言った、その頃なのかなぁ。
スマソ。はしょっちゃいましたが、
《回想談話によれば六〇年安保の頃にはすでに「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、(略)」という[集15−339]》とあって、いつ頃の慨嘆かは不明。。
回想ではなくて、その前(国会デモの2年前の座談会)でも、似たやうなことを言っています(「丸山学派」と名指されることへの違和感、いまで言えばレッテル貼りされてヤンなっちゃう、といった感じでしょうか)。1950〜60年代のことです。
>>>>本人の自覚では、書斎にこもり専門の思想史研究にうちこみたいのに、知人から請われてやむをえず運動に参加したのが実状だったのである。(苅部直、岩波新書『丸山眞男』p7)
×p7→○p9
>そして東大紛争の一件以来、丸山は次第に日本思想史の探求に沈潜していったらしいですね。そしてやがて「古層」「通奏低音」という考え方を丸山はしていくようになる・・・
「古層」「通奏低音」等は、東大紛争とは無縁でつyo(敗戦…日本って何故ペケ?の根源に、、みたいな。。)。
>・・・たぶん、丸山ってすんごく知性主義の人だと思うんですけど、戦前の国体明徴運動と戦後の全共闘(全学連?)運動というのは、ひとつ共通点があるんですよね、既存の「知の権威」に対する反知性主義的な情念がある。いや、反知性主義というと違うかな。
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>というか、政治運動といのは、良かれ悪しかれ知性主義にはわからない部分があると思うんで、丸山には見えてなかった「政治現実」というのはあったと思う。その「政治現実」というのは、底流に土俗的なことってあるじゃないですか、でも丸山はすごく土俗的なものを嫌った。
インテリゲンチャンたろうとしてたようですね。
(丸山には見えてなかった、というより、見えていた――子どもの頃の体験etc――から、嫌った、のかもしれません、。デモそれって多かれ少なかれイマドキのだれにでも当て嵌まるカモ。舶来至上としての”日本市場”)
>「戦前でも、左翼にあらずんばインテリにあらずという空気があった、というのは本当ですか?」と父に尋ねたら、父はこともなげに「あぁ、そうだよ」と。国体明徴運動の時の右翼学生は意識化された中で「洋学の知識だけで憲法を説く者に国体がわかるのか!?」と機関説排撃の糾弾をやったわけだけど、全共闘運動の学生は丸山に「ベートーベン聞いてヘーゲル読んでる奴に革命がわかるか!?」と叫んだそうですね。これは、意識レベルでのマルクス主義によって抑圧された無意識レベルでの土俗が噴出してる・・・と思えるんですよ。
”ねじり菓子”みたいでつね。。
>で、私は右翼でしょ?
え゚そうなんですか〜(w
>その情念そのものはわかるんですよ。この土俗を唾棄するだけなら、やっぱり政治はわかんないと思う。ところでgajiさんはリアルタイムで『ガロ』見てたんですよね?やっぱり、あぁいう感じって、当時の学生に訴えかけるものがすごくあったような気がするんです。私は当時幼くてそういう空気はリアルタイムでは知らないんだけど、後に神田の古本屋で当時の『ガロ』の一冊を買って読んだとき、読者の投書欄に興味深い投稿があったんです。左翼の運動用語を散りばめてあるんですけど、『我々が今ここで取り戻すべきは、つげ義春や林静一の作品に見られる土俗性や叙情ではないのだろうか?』だったかな、そういう内容の訴えなんでした。
『ガロ』は半ばリアルタイムで見てましたけど、
つげ義春は土俗っていうよりシュールだったし、
(スイマソン。以下明日
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