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スイマソン。とりいそぎ、訂正しまつ。。
>>芥屋さん:
>>それって、いつ頃の慨嘆なのかなぁ。東大紛争で学生に研究室を破壊され、吊るし上げを食らった前後なのかな?「戦前の右翼学生でもこんなことはしなかったぞ!それを君達は!!」とか何とか言った、その頃なのかなぁ。
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>スマソ。はしょっちゃいましたが、
>《回想談話によれば六〇年安保の頃にはすでに「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、(略)」という[集15−339]》とあって、いつ頃の慨嘆かは不明。。
「回想談話」ではないけれど、↓。
《一九六七(昭和42)年、鶴見俊輔との対談「普遍的原理の立場」では、自分はもともと「隠遁型」で、六〇年安保の際の行動はやむをえぬ「例外」だったと述べ、「天下国家論よりは音楽なんか聞いているほうが楽しいね」と語っている。》(前掲書、p185)
>>そして東大紛争の一件以来、丸山は次第に日本思想史の探求に沈潜していったらしいですね。そしてやがて「古層」「通奏低音」という考え方を丸山はしていくようになる・・・
>
>「古層」「通奏低音」等は、東大紛争とは無縁でつyo(敗戦…日本って何故ペケ?の根源に、、みたいな。。)。
東大紛争(68〜69年)、そして肝炎で入院、その後71年辞職。
で、論文”歴史意識の「古層」”が著されたのは72年でした。
ただ、
1959年の「東洋政治思想史」講義で、「日本人の原初的思考様式」を論じ、
63年、以降の講義ではそれらを思考様式と世界像の「原型」と名づけ、
のちに「原型」→「古層」や「執拗低音」と呼びなおし(67年度の講義「日本政治思想史」〜)、といった経緯があったようです。
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