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macskaさん:
もう何もかもまったくダメですね。がっかり。
>> では、その人が「自分で決め」たことが押しつけになっているか
>> なっていないか、その人はどうやって判断するのです?
>
>他人に相談したり、他人の意見を参考にしたりもできますが、究極的には自分で考えるしかないでしょうが。
は? 「誰が判断するのか」ではなく「どうやって判断するのか」「何に照らして判断するのか?と聞いてるんですよ。「他人に相談したり」「他人の意見を参考に」って、それ、このパンフのことでしょう? このパンフを参考にしたら、どういう基準がそこに浮かび上がってきて、どういう場合に「押しつけ」だったと反省したりすることがありうるわけですか?
>> 子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをき
>> ちんとやります、という人は、自分で決めてそうしてたわけです。
>> そこに「押しつけてませんか?」と問いかけて、反語ではないの
>> だなんていうのは、日本語の理解としては全然落第ですよ。
>
>あらかじめ考えを尽くして決定した人にはそんな呼びかけは必要ないでしょう。
じゃあ「あらかじめ考えを尽くして決定」するようなことのない一般大衆にとっては、十分必要だとおっしゃるわけですね? 「なんのために」か依然としてはっきりしませんが。
>しかし、たいした考えもなく惰性で「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」と考えてきた人には、本当にそれが良いのかどうか一度振り返ってみてはいかがでしょうか、と呼びかけることは有効だと思います。
ちょっと待って。「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」が「あらかじめ考えを尽くして決定」ではなくて「たいした考えもなく惰性」かもしれないって判断はどこから出てくるわけ?
この投稿でmacskaさんが言ってきたことって、要するに、親がたとえば政治的にナショナリスティックな伝統保持主義者(あらかじめ考えを尽くして決定した人)である場合にのみ、この呼びかけは「必要ない」ということになるんじゃないですか? それ、あなたの持論のフェミニズムともこのパンフの主旨とも、どんどんかけ離れていく一方ですけど? むしろまったく逆なんじゃないのかね?
>『バックラッシュ!』インタビューの一番最初のところで、宮台真司さんがこう言っています。
>
>>> 社会学のオーソドックスな枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、
>>> ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の
>>> 消去」だけど、ジェンダーフリーは「社会的性別に関わる再帰性」
>>> であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、ここしろ」とい
>>> う直接的メッセージは本来、出てきません。まあ、再帰性という概
>>> 念を知らない無教養者が──とりわけ後述するような不安な層が──
>>> 騒いでいるだけの話ですね。
>
>この説明を借りると、「基本のき」における「押し付けをしていませんか?」という問いかけにひな祭りや鯉のぼりが含まれていることは、ひな祭りや鯉のぼりをああしろ、こうしろという直接的メッセージではなく、ひな祭りを祝ったり鯉のぼりをあげたりすることの再帰性に自覚的になるよう呼びかけているということになります。
自分では説明しきれなくなって宮台を持ち出してきたんだろうと思いますけど、「再帰性に自覚的になるよう呼びかけ」るって、それ、スターリニズムにも通じる危険な発想なんじゃないの? 要するに、「どこが悪いかは自分で考えろ」という無言の圧力だということでしょう? そしてそれができない者、考えてもわからない者、考えた結果悪くないと判断した者は「無教養」「不安な層」などとレッテル貼りされるわけだ。そんな宗教みたいな自省をうながす思想って、キモいじゃないの、リベラルの立場からすれば。
>ところが tpkn さんの解釈は、ああしろこうしろという直接的メッセージでなかったのであれば問いかけ自体が無意味であるというもので、浅はかすぎて嘲笑すら起きません。
おまけに「浅はか」と来た。そこに込められたメッセージを自分で説明もできないでいて、再帰性だのなんだのという言葉でごまかすしか能のない人々に、我々は「無教養」「不安」「浅はか」などと評価されるわけね。で、あなた方だけは、何が正しいか知っていると言うわけだ。なんだそりゃ、どこがリベラルなの?
ここでいう「再帰性」なんてのは、「個人の勝手」とほとんど同義でしょう。だいいち、いわゆるバックラッシュを含めた反論の数々が「再帰性に自覚的」になった結果ではないと、あなたは何を根拠に言えるわけ?
ごまかしてるだけじゃん。
>まぁ、そういう浅はかな読み方をする人が世の中に大勢いて誤解されてしまったという点では、戦略的に失敗であったのは確かですし、そもそも行政の啓発パンフ自体わたしは好きではありません。が、だからといって浅はかな読みが正しかったのだということにはなりませんね。
へいへい。そのパンフにどんなメッセージが込められているかはついぞ説明もできず、「再帰性に自覚的になれ」「自分で考えればいい」と言い、「自分で考えた」結果このパンフは間違っていると声を上げた多数よりも、自分たちのほうに「正しさ」があると主張する。しかしその根拠は示せない。
「再帰性に自覚的になれ」とは、あなたや宮台にまず向けられるべき言葉じゃないのかね、こういう場合。そういうわけのわからない難しい言葉じゃなくても、昔からもっとわかりやすい言い方があるわけ、日本語には。
「天に唾する」
ですよ。日本語忘れかけてるみたいだから、覚えておきなさい。
>そう物事は簡単ではありません。教育や育児においては、ある程度親や教員が子どもに対して「押しつけ」「決めつけ」を行なうことは容認されています。
へ? それを振り返って「押しつけでないか考えろ」と言うのがこのパンフでしょうが。で、このパンフにもとりあげられている松戸市のふりーせる保育が、「ある程度親や教員が子どもに対して「押しつけ」「決めつけ」を行なうことを拒否して、むちゃくちゃやって失敗してますよ。これはどこかの保育園が勝手にやったことじゃなくて、行政の政策として実験として行われたものです。
>そこにはいくつか理由があって、第一に社会の一員として必要な常識を身につけさせるために社会を代表してやっているのだという論理、第二に親は子どものためを思ってやっているのだという論理、第三に親が子どもをどう育てるかは親の権限だという論理。これらは無制限に認められるものではなく、いまあげた順番でより大きな制約を受けるようになっていますが、教育や育児において「押し付け」「決めつけ」一般が単純に悪いと言い切れるものではない。
>
>だからこそ、「悪いと断定するわけではないけれど、一度振り返って考えてみてはいかがでしょうか」という「再帰性への気付き」を促す行為が意味を持つわけです。
だとすれば、そこに雛祭りや鯉のぼり、洋服の色なんかを持ち出す意味全然ないですね。
>> 《「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違
>> い》って、いったい私と芥屋さんとJosefさんと純子さんのうち、誰
>> がそういうことを「読み取」っているのか、該当箇所を引用してみろ
>> と言っただろう。それこそ、どこにも「証拠」ないじゃないか。
>
>まとめが厳密であったことは認めますが、なにをムキになってるの。
>実社会で関わりがないからいいけど、こういう人は恐ろしいなー。
はいはい、例によって相手を悪魔化してごまかしですか。そのくせ、この回答からは《「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違い》というあなたの言葉は妥当だったのかどうなのか、いっこうにわかんないんですけど。
あなたの言論の妥当性について「気づき」をうながすために引用してみろと言ってるんであって、それに対して「怖い」とか「(相手が)ムキになってる」とか言うのは、あなた自身が「再帰性という概念を知らない無教養者」だということにすぎないんじゃないの?
一般の良き母親・父親たちが大事な子供を育てるにあたって「再帰性を自覚できないゆえに無教養」なんて言われることの恐ろしさにくらべれば、あなたが感じる恐ろしさなんて屁でもないでしょうよ。
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