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芥屋さん:
> この段階が何らかの圧迫を伴う場合のみを批判しているとのこと
> ですが、それならば、どのような圧迫の存在を想定しているのか、
> それを明らかにしなければなりません。
えーと、よく分からないのですが、芥屋さんは「一般的に言われる『男らしさ・女らしさ』の規範に従わなかった(あるいは従えなかった)ために、雇用差別を受ける」という例が「おそらくない」という主張なのでしょうか? それとも、そういう例はあるけれども、わたしが常々主張している「差別」の定義には含まれない、という主張でしょうか。どっちなのかはっきりしません。
前者の主張だった場合ですが、端的に事実として間違いです。たとえば、男性ならば「元気が良い、積極的」と肯定的に評価されるようなコミュニケーションスタイルが、女性であるというだけで「うるさい、自己顕示欲が過剰」と否定的に評価されるということがあります。こうした評価を受けるということは、ただそう思われるというだけで済む話ではなく、面接で失格になったり昇進を絶たれたりする理由の一端と成り得るわけですから、非常に大きな実害があります。もちろん、男性が「男らしい」コミュニケーションスタイルを取らないために低評価を受けることもありますし、問題は狭義のコミュニケーションスタイルに限った話でもありません。
後者の主張だった場合ですが、これはこうした「ジェンダーの規範」がシステムかどうかという議論になります。システムであるということは、リンク先にも書いていますが、社会的条件と個々の行動のあいだに相互を強化する循環が成り立っているかどうかということです。おさらいをすると、たまたまどこかの会社のワンマン社長が「うちの会社はどんなに優秀でも阪神ファンの入社は認めない」と決めたとしても、それはわたしの定義では差別とは呼ばない。なぜならそれは単なる偶発的な個人の趣味であり、制度によって引き起こされたものではないし、制度にフィードバックするわけでもないからです。
ジェンダーの規範によって異なった扱いをするということは、「男らしさ」「女らしさ」という、内容に多少のブレはあってもだいたいの部分で社会的に広く共有された認識によって引き起こされたものであり、また「男らしくない男や、女らしくない女は雇用しない(昇進させない)」といった行為が「男らしさ」「女らしさ」という特定の認識を強化することが明らかです。つまり、広く共有された「男らしさ」「女らしさ」という認識と、「男らしくない男や、女らしくない女を低く評価し扱う」とう行為のあいだに循環が成立している。よって、これをわたしはシステム的な意味でいう「差別」であると考えるわけです。
逆に、これとよく似ていて「差別」ではない例を考えてみましょう。例えばある会社で、「牡羊座の男性と蟹座の女性は採用しない」というポリシーがあったとします。言うまでもなく、そうしたポリシーは理不尽ですし、男性であれば採用されたはずの蟹座の女性が、女性であるばかりに不採用となったりすることもあります。しかし、牡羊座の男性と蟹座の女性を特に不当に扱うような社会的な制度や認識は存在しません。だから、男女で違った扱いになろうと、この例はわたしの定義するところの「ジェンダーの規範による差別」とは呼ばないのです。(ただし、牡羊座と蟹座の出現頻度が極端に違う場合、どちらかの性の採用を増やすための方法と見なされるおそれもあります。)
「ジェンダーの規範による差別」を、わたしは「性別による差別=セクシズム」と区別して「ジェンダリズム」と呼んでいます。女性にとっては「女性であるということで不利益を受ける」という点でセクシズムもジェンダリズムも区別がつきにくいですし、現実問題としてジェンダリズムがセクシズムを支えている(男性と女性によって違った規範があるだけでなく、違った規範が性差別的に作用する)面もあるので区別しなかった傾向もあるのですが、男性や同性愛者・トランスジェンダーの人たちの置かれた状況を分析するうえでは両者を分けて考えるのが有用だと思います。
というわけで、これでも疑問があれば、前者の主張なのか後者の主張なのか明らかにしたうえでよろしくお願いします。
差別の定義云々は、ブログでエントリにすべきですね。
なんだかいろいろなところで引用されているのですが、掲示板のログでは引用しにくいでしょうし、まとまった形で読めた方が良いと思うので。
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