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>macskaさん:
私は先にも書いたように、macskaさんの用いる「『男らしさ・女らしさ』の規範に従わなかった(あるいは従えなかった)ために、雇用差別を受ける」という表現自体が、日本語として不適切(どうとでもとれる曖昧で非論理的な表現)だと指摘しました。そして、一般的には「男らしい女らしい」というのは、その人のある場面を指しての美的評価の形容にすぎないこと、もしその美意識が個人的な好みの表現ではなく他者への命令・要請として求められる場合は、「男らしくしろ女らしくしろ」となること、それを明示しました。
すると、「『男らしさ・女らしさ』の規範に従わなかった(あるいは従えなかった)」というのは「男らしくしろ女らしくしろと言われたが意に介さなかった(気にしたけどできなかった)」ということになろうかと思います。さて、それを理由に解雇されたりすることがあるのでしょうか?私は見たことも聞いたこともありません。もし、そんな理由で「はい、君はクビだ」と言われたら、納得する人などいないでしょう。不当解雇じゃないですか。あるいは、面と向かって「君は男らしくないからクビだ」とは言わず、何じゃのかんじゃのもっともらしい理由をつけられたとします。それでも「それは表向きの口実で事実性はない。男らしくないという主観によって解雇したのが実情」とその人が思えたら、裁判沙汰でしょう。しかし、そんな不当な解雇をされたという裁判も見聞きしなければ、ましてや敗訴になったという判決も見聞きしません。私が知らないだけかもしれないから、そういう実例があるのかとお尋ねしたわけです。そんな実例がなければ、「そのような制度上の差別はない」としか言えないはずです。
>前者の主張だった場合ですが、端的に事実として間違いです。たとえば、男性ならば「元気が良い、積極的」と肯定的に評価されるようなコミュニケーションスタイルが、女性であるというだけで「うるさい、自己顕示欲が過剰」と否定的に評価されるということがあります。
そういう男女観の持ち主もいると思いますよ。全く逆に「男なら寡黙で受け身でシャイなくらいがいい。女はハツラツとして能動的で快活なほうがいい」という男女観の持ち主も多いですよ。こんなのは言い出したらキリがありません。だから何ですか。その人それぞれの好みなんだから、それでいいでしょう。日本での「男らしさ女らしさ」なんて、アメリカのようにマッチョなマスキュリニズム&フェミニンといった単純な文化じゃないんですよ。一緒にしないでいただきたい。
>こうした評価を受けるということは、ただそう思われるというだけで済む話ではなく、面接で失格になったり昇進を絶たれたりする理由の一端と成り得るわけですから、非常に大きな実害があります。もちろん、男性が「男らしい」コミュニケーションスタイルを取らないために低評価を受けることもありますし、問題は狭義のコミュニケーションスタイルに限った話でもありません。
そんな貧相な男女観を優先させて、そんな基準で不採用にしたり昇進させないような会社には就職したって仕方がないでしょう。それでも何かを求めて、そうした社風を覚悟で入ったんなら社風に合うよう努力するなり、不利を実力で跳ね返して評価を勝ち取るなり、あるいは不利に甘んじながら自分にとっての「実益」を追求すればいい話です。世に訴えてどうこうというような「実害」でも何でもない。自分の選択でしょうが、それは。
したがって、これはフェミの言う漫然とした「ジェンダーの規範」なるものが、いかに平板でシステマティックな「その手の本に載っている常套句」でしかないか、ということを表しています。当然、制度としてシステムかどうかという議論をするのであれば、少なくとも日本ではそのような「らしさ」の制度はありません。システムではないということは、リンク先にも書かれているように、たまたまどこかの会社のワンマン社長が「うーん、優秀な君にはもっと男らしく元気ハツラツであってほしかったけど、そうする気はないようなので、もう出社しなくていいよ」というケースがあったにしても、それは「うちの会社はどんなに優秀でも阪神ファンの入社は認めない」と決めるようなものと同様、それは差別とは呼べない。なぜならそれは単なる偶発的な個人の趣味であり、不当ではあっても制度によって引き起こされたものではないし、制度にフィードバックするわけでもないからです。
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