| |
芥屋さん:
> いいえ、捻じ曲げてません。
じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意味なんですか?
「もしかしたら思い当たることがあるのではないか」と言ったのはわたしです。しかしわたしは「やってる人は自省してみたら?」とは言っていません。それはパンフの著者が書いていることです。わたしの意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて「ほれ見てご覧なさい」と書くということは、どのように解釈すればいいのか。わたしの意見がパンフ著者のそれと同一であるというように捩じ曲げているのでなければ、どのような説明ができるのか見てみたいものです。
> あなたが解釈して説明している主張はあなたの意見ですが何か?
> これほど自他の区別がついていないものは、普通、「妄想」と言
> われるんですけど。
だから、わたしが解釈して説明している主張は、パンフの主張が何であるかということに関するわたしの意見です。しかしパンフの主張だとわたしが解釈していることに、わたしが同意するとは言っていません。にもかかわらず、あなたはわたしの立場がパンフ著者の立場(だとわたしが解釈しているもの)と同一であるかのように決めつけてばかりいます。わたしとパンフ著者の立場の違いの区別がついていないのはあなたです。
芥屋さん、また以前の癖と同じように、詭弁による批判の自己目的化がはじまっているように見えます。特に最後の数回のやり取りは、わたしの意見を理解してそれに反論しようという様子がまったくなく、とにかくわたしの書いたものの意味をひたすらずらしつつイチャモンをつけてばかりいます。わたしはそんな芥屋さんと議論なんてしたくないので、いつもの芥屋さんに戻ってください。
|
|