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芥屋さん:
> あなたの論法から言えば、「無意識のうちに人権思想を押し付け
> ている子育てをしていませんか?振り返ってみましょう」という
> 言説が啓発や教育を通じて流されても「全然危険じゃないでしょ。
> 呼びかけているだけなんだから」となってしまいますよ。
いや、それは内容的に啓発には不適切でしょうが、危険だとか文革だとかいうレベルではないでしょう。
>>> そこであなたが言う、ある特定の批判とは、あのような思想が
>>> 誤っているという批判のことね。
>>
>> 違います。「基本のき」の思想が全体主義的であるという批判が
>> おかしいと言っているのです。
>
> じゃぁ、違わないじゃん。
あのさ、平然とそういうコトを言うの、やめてよ。
「あの思想は誤っているという批判」と、「あの思想は全体主義的であるという批判」は等価ではありません。全体主義は間違いだとすると、後者は前者の一部だと言えるでしょう。
そのうえで、わたしは全体のうち一部がおかしいと言っているわけですね。それは、全体がおかしいという主張とは明らかに意味が「違う」わけですよ。
それでも分からない?
>> パンフの著者とわたしを同一視するのはやめてください。
>
> それは無理。やめてほしければ、あのパンフの意味はこうなんだと
> 言わなければいい。
「Aという人物は全体主義者だ!」という批判について、「それはおかしい」とわたしが言ったら、わたしとAは同一視されても仕方がないと言うのですね。あなたの論理能力のなさをそんな風に押しつけられても困るわけですが。
> 本を読みかじって覚えたジェンダー論で子育てを語る青臭さ。
わたしは子育てを一切語っていません。
それを語っているのは、パンフの著者です。
だから、同一視はやめてくださいと言っているのですね。
>> そもそもわたしはジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとか
>> 言っていません。
>
> 言ってます↓
それはパンフの内容がこうであると言っている例でしょ。バカですか?
わたしに対するあなたの批判は、どれ一つ取っても「パンフの著者=わたし」でなければ成り立たないようですが、それはあまりに不当な論法です。「パンフの内容はこうだ」という部分は、わたし自身の意見ではなくパンフの内容はこうではないかというわたしの解釈なのですから、それをわたしの意見そのものであるかのように扱わないでください。
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