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>macskaさん:
>「男らしさ・女らしさ」という基準が社会的にまったく共有されておらず、「好きな野球のチーム」程度にバラバラであるとあなたは主張しているわけですか? そんなことはないでしょう? なにを「男らしい」と感じるかについては多少は個人差があるでしょうが、かなりの部分社会的に共有されているのではないですか?
「好きな野球のチーム」程度に偏りがある、と思いますよ。全国的には巨人ファンが、フランチャイズ球団を持つ地方都市には地元球団のファンが…それぞれ大きな偏りがあります。また野球観そのものが年齢層によって異なるという要素も無視できないですね。「男らしさ女らしさ」も、それと似た偏差の構造があると見てます。
>はい、場に合った服装や化粧を求められるのは当然ですよ、もし男女関係なくみんな化粧しろというのであれば。しかし、女性だけが「化粧を求められ」、男性は逆に目立つような化粧をすることを「禁止される」としたら、それがジェンダーの規範でなくて何だというんでしょうか。
どちらかと言えば、お堅い業種の職場でそういうことが多いかな、と想像します。まぁ、そのような場もあるでしょう。その場合、そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のことです。それがそんなに嫌なら辞めたまえ、服装や化粧についてそんなに周囲に対して非妥協的に自己主張したければ、よそでやれ、というのが正しいですね。
厳しいようだけど、自己表現というのは、そういう壁にブチ当たりながら形成していくべきものです。所かまわず好きなように自由に表現したいのにさせてもらえない…そういう壁が「差別」なんだ、場もわきまえず自由に表現するのも「権利」なんだ、邪魔するな!なんてのは、ガキのツッパリですよ。そんなものは少しもお洒落ではない。野暮です。服装や化粧を何だと思っているのか(苦笑)
>これが「ジェンダーの規範を理由とした差別」であることは、わたしの採用している差別の定義からは否定できません。
いえ、こんなものを「差別だ!」なんて言い出すから「差別」という言葉のインフレが起るんです。肌の色や出自などを口実に蔑視され疎外され迫害されることと、同列に語るべきではありません。
>そのうえで、この問題については社会的にそれほど問題とはされていないので、社会常識とある程度の折り合いを付けるべきだとか、そういう現実的なオプションはアリだと思います。しかし、そういう結論を導き出すために分析基準を緩めたり捩じ曲げたりするべきではないでしょう。
何でもかんでも差別差別と言い立てることが逆に反差別をスポイルしているという現状、この問題を考えるときに、何をもって差別かという基準に今一度、弛緩した被差別意識を厳しく立て直すのは必要なことだと思います。
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