| |
芥屋さん:
> 言って当然だ、認められて当然だ、認められなかったら差別だ、など
> というのでは叱られて当然です。職場は、何をするところですか。
「職場の常識」がそうであるというのはその通りです。しかし、わたしの定義する「差別」にそれは間違いなく含まれるんですよ。それが不満であれば、わたしの定義を捨てて別の定義を提案すべきです。
定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。
正面から「差別だ!」と指摘することが、差別を取り除くための戦略として有効だとは限らないという点は、あなたの言う通り。しかしわたしは、現場において「差別だ!」と指摘すべきかどうかという議論をしていない。ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを受けることを、わたしの定義するところの「差別」の一緒として考えることができると言っているだけです。
てゆーか、そもそも職場にスカートをはいて出て来なくたって、休日はいつもスカートで外出していると社内で知られるだけでも会社で不利益を受けるんじゃないですか?
> こういった方面になると、おそらく日本では伝統主義者(?)のほうが、
> 理解も共感も早いと思う。何たって、男装して勇み立ち雄叫びをあげる
> 天照大神に、女装して舞い敵将と寝所をともにするヤマトタケルの国で
> すもん。
そうあって欲しいのですけれど、伝統主義者というのは伝統から自分が気に入った部分を恣意的に選んで来る人のことですから、そういった部分を選んでくれるかどうかは分からないのです。
|
|