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芥屋さん:
> 不満も何もないですよ。ジェンダー教の信者さんが思っているような
> 「男らしさ女らしさの規範」なんて、実存じゃないでしょ?
現実問題として社会的に広く共有されていると何度も指摘しています。
「男がスカートはくなんておかしい」という認識と、「男がスカートをはかないなんておかしい」という認識が、本当にほぼ互角だと思いますか?
> なってしまいません。スカートを履きたい男や化粧をしない女が、
> どこで奴隷化されていますか?
差別であるかという判断において、「それを差別と呼ぶことは社会常識に反するから差別とは呼べない」という主張は成り立たないと指摘するために、わざと極端な例をあげたのです。どこの誰が「スカートを履きたい男が奴隷化されている」と言いましたか。
> ジェンダー教徒の反差別論のもっとも良くないのは、およそ比べよう
> もない不幸・不正義と、個人の志向が貫徹できない不利とを同列に語
> ることです。
奴隷制がおよそ比べようも無い不正義であることは確かです。が、それを同列に語った覚えはない。というより、あることを「差別だ」と認定したとしても、その後どういう対策を取るかは個々の事例によって違うと言っているわけですから、「すべての差別的現象を同列には扱えない」とわたしは主張しているのです。
しかし、ここでわたしが問題としていることを「個人の志向が貫徹できない不利」とまとめているのは不当です。というより、そのように描写したうえで「個人の志向が貫徹できない不利」は差別ではないとするならば、例えばキリスト教徒だけを優遇してその他の宗教を迫害したとしても「差別」ではないということになります。だって、「個人の信仰を貫徹できない不利」ですからね。また、同性愛差別を正当化する論者たちも、性的指向を単なる「個人の志向」であると決めつけたうえで、それを貫徹できない不利は異性愛を正常とする社会常識に鑑みて「差別」と呼べないと主張しました。あなたの言うように「ジェンダーの規範による『差別』」は差別ではないとするためには、差別の定義に無数の例外規定を設けなければいけなくなるのです。
> いいじゃん、身だしなみについてアレコレ言う人がいても。
もちろんいいですよ。しかし職場やその他の公的な場面において不利な扱いをされるのはおかしい。
わたしは「規範に沿わないからといってアレコレ言われない権利」なんて主張していません。あくまで、職場による不当な扱いなどを通して「強要されない権利」だけです。
> 人は誰に対してでも異なる扱いをしてはいかんということになれば、およ
> そ非人間的なことを求めることになる。
はい、その通り。だから、人は基本的にさまざまな個人的な趣味に応じて違った扱いをしても良いというのが原則で、職場など限られた場面において、限られた属性については違った扱いをしてはいけないという「反差別」規定の方が例外規定です。わたしはそこに、「ジェンダーの規範による差別」が含まれると言っているのです。
もちろん、例えば「スカートを履く男性」とあなたが個人的に友達付き合いをしない、というのはあなたの自由です。しかし、もしあなたが採用担当者だったとしても、それを理由に「スカートを履く男性」を雇用しないというのは「差別」にあたります。「社会常識に照らして妥当である」と言うかもしれませんが、仮にそうであってもそれを「差別」と呼ばない理由にはなりません。
> あなたの定義による「差別」は、政治権力による強制力を伴う制度改革論
> の対象としうるものを限定させることに意義があります。
はい、だから「異なる扱いをすること」一般ではなくて、雇用や昇進における差別など特定の分野に限って議論しています。
> そこに「ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを
> 受けること」を持ち込むなら、あなたがたと同じ男女観(ありもしない制度化
> された男女観)を持つ人々しか自由と権利を享受できません。
そんなことはないでしょう。どのような男女観を持つのも個人の自由ですし、それに同調するよう他者に呼びかけるのも、私生活においてそれを実践したり、実践しない人との付き合いをしないのも自由です。しかし、あなた個人の男女観を理由に他者の権利を侵害するなというだけ。
> うん。バレたら不利だと思います(いろんな陰口とか噂とかされて面白がられ
> たり)。で、もしそれを理由に解雇などされたら、これは権利の侵害ですね。
> でも、それを訴訟にすること自体、その人にとっては非常に躊躇されることか
> もしれない。そういうことのないよう訴えかけるのは、私は正しいと思いますよ。
なるほど、だったら、「ジェンダーの規範による差別」というわたしの考え方に同意していることになります。
> でもこれはtpknさんが既に言ってるとおり、雇用差別に発展したら、でしょう?
> そこんとこ、ひとくちに「不利」と言っても、覚悟しとかなくちゃいけない「不
> 利」と、生存に関わる不当な権利侵害とは一緒にするべきではないでしょう。誰
> にだって、いろんな「不利」はあるんだから、不利=差別ではないです。
不利=差別ではない、その点には同意です。しかし、生存に関わらなければ差別ではないということにもならない。生存に関わるものの方がより深刻であり、緊急の対処を必要とするのは確かですが、生存に関わるかどうかは定義の一部ではありません。
では「不利だけれど、差別ではない」とはどういう場合か。それは、いわゆる「阪神ファン差別」のように制度化されていない単なる個人の趣味志向のレベルで低い評価を受けることです。ある人が「あいつ阪神ファンだってよ」と低い評価を受けたとしても、そんな評価は社会的に共有されておらず、逆に阪神ファンであることで好意的な評価を受けることもあります。そういう場合なら、阪神ファンであることを理由に不当な扱いをしても、それは単なる確率論的な理不尽な扱いであって差別ではない。
しかし、「男性なのに休日にスカートを履いて出歩いていた」という噂が広がった場合、好意的な評価はほとんどなく否定的な評価が圧倒的でしょう。そういうときに、そうした評価に基づいて不当な扱いをすることを、わたしの定義によれば「差別」と言うのです。
もちろん差別といっても深刻度にはいろいろあります。陰口を言う、噂をして面白がられるということは、気分を害するけれどもそれ以上の被害があるわけではない。しかし例えば「スカートをはいていたのを目撃された」というだけで重要な任務を外されたり、昇進の機会を絶たれたりすると、実害が生じ出すわけですね。さらに解雇されたりしたら生活に支障が出ますし、あるいはヘイトクライムの標的になって暴力をふるわれるということもある。そういうさまざまな段階の問題については、個別に必要な対策を取れば良いはずです。「差別」だからと、何でも同じ対策ということにはなりませんね。
> 自衛隊でゲイであることが発覚してそれを理由に解雇された人の事件があって、
> 某板で話題になってましたが、もちろん不当な解雇です。でもね、私が言って
> るのは、もし仮にこの人がゲイはゲイでもネコで女装趣味があったとして、
> それを理由に男子隊員の制服ではなく女子隊員の制服を所望して拒否されたと
> しても不当ではない、ということです。
男女で違う制服がある場合はちょっと話が複雑になるので、はじめから「制服や服装規定がない会社において」という前提で話していました。ちょっと議論をはしょって結論だけ言ってしまうと、男女別の制服や服装規定があった場合については、その規定そのものの是非が論じられるべきであり、「規定を認めたうえで、別の性の服装をする権利」を要求するのは中途半端であり、少なくとも論理的には成り立ちません。(ただし、性同一性障害を理由として、「自分が自認する性別の服装をする権利」であれば、論理破綻を招かずに要求できます。)
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