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>93年6月21日の「週刊読書人」に掲載されたらしいとのこと。
>ttp://f61.aaa.livedoor.jp/~sslogbbs/2ch.philo.974.974326375.htm
しゅうさん、情報をありがとうございます。
なるほど、96年刊の永井『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)における永井の竹田に対する反論には、前史としてこういう噛み合わない対談があったのですね。この新書の中で永井は自分の論文に対する竹田の批判(『群像』94年7月号)に対して反論しています。一部引用してみましょう。
> 率直に言って、どうしてこんなにもでたらめなことが次々と書けるのか、
>ぼくには理解ができない(いや、でたらめではなく根拠があると言えるなら、
>竹田さん、ぜひきちんと説明してください!)。[中略]
> 続けて竹田さんはこう言う。「そういう現代思想の動向を踏まえて言うと、
>この本での『自己問題』の語られ方は、…なぜ『自己』や『主体』が重大な
>問題だったのかという背景が、どういう理由でか抹消されて」いる、と。
> 抹消だって?自己や主体が重要な問題であることに、もともと「背景」
>なんかありはしない。「現代思想の動向」なんか糞くらえ!だ。哲学と
>いうのは、ぜんぜんそんなものじゃないのだ。「主体の形而上学」やら
>「ヘーゲル的自己」やらが「解体」できるかできないかなんて、大仰で
>空疎な問題が、哲学の問題なんじゃないんだ。そうではなく、<子ども>の
>驚きをもって世界に接したひとが−だからほんとうはすべてのひとが−
>そのとき感じたもっとも素朴な問いこそが、哲学の問いなのだ。
(107-108ページ)
こういう批判・反批判がまずあって、その後にラクシュンさんが紹介された二人の対談が行われたのかと思いましたが、順序は逆なのですね。
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