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あにぃ、
お久しぶりです。何度投稿しても駄目だったのはそういう訳だったのですね、了解です。
>最近はオンラインゲーム三昧の日々ですw
何やってるのかなぁ?私は一時麻薬みたいにハマって、一週間の予定がほぼ全てその世界のスケジュールで埋ってたような時期がありましたが、今は完全に足洗いました。程ほどで辞めておく、ということが私には無理なので。めちゃくちゃ楽しかったのですが、向こうの世界で豊かになると、こっちの世界で色んな意味で貧しくなるので、老後の楽しみにとっておくことに、今は決めてます。
よーくん、
何か酷い言われような気がするのですが。でも今は、子育てほど、面白くて刺激的なものはない、と思ってます。
>母性よりむしろ「知性」なのだと今は思っています。
母性とか知性とか、いまいちピンと来ないのですが、私にはどうしても必要なことでした。子によって私は救われたし、手間暇かけているというか、出来ることをしているだけです。身近で、24時間絶えず愛情をぶつけて来る存在なんて、赤ん坊以外いない。女の複雑性PTSDは、子供を授かれば大抵治っちゃうんじゃないかしら、なんて思いました。
うちの子はかなり手強い赤ん坊だったみたいで、私には逆にそれが良かったのかもしれない。0歳代はちょっとでも下に降ろせばギャン泣き、抱っこして歩き回って常に色々と話しかけていないと、酷い癇癪を起こす。仕方がないので一日10時間以上抱っこして、家事は全て片手でこなし、おんぶが出来るようになると、行動範囲が広がって畑仕事も出来るようになりました。ベビーカー買っても、結局ほとんど使いませんでした。優雅にベビーカーに乗せて移動する人がとても羨ましかったのですが、後になって、何故あんなに泣いていたのかが、わかりました。ハイハイが始まり、それから一人歩きと進化するにつれて、目に見えて落ち着き、自分で動き回れるようになると、もう嬉しくて仕方ない、というように世界を探索して回るので、推測ですが「自分で自由に動き回りたいのに、それが出来なくて悔しくて泣いてたのかな」と思い至りました。それでも、夜は1時間半ごとの授乳が長い間続いて、2歳近くになるまで私も2時間以上続けて寝ることもなく、「体力の限界だよ、もうだめ〜」と何度も思いましたが、気付くと、私自身の気持ちは不思議ととても落ち着いているというか、以前は常にあった焦燥や飢えのようなものが、嘘のように消えてなくなっていました。娘は優秀な行動分析トレーナーだったようです。
>子供に関する限り、少々の貧しさなんてどうってことはないのですね。それより、そのことに対する親を含めた周囲の眼差し・意味づけの方が重要なわけで。
もう少し、詳しく聞きたいです。
私は、多少の経済的な貧しさがイコール不幸だとは、全く考えていないのですが、しかし、その他の貧しさ、人間関係であったり教育であったり文化であったり社会的な繋がりであったり、更には親の愛情であったり、それら子供にとっての全ての資源の欠落が、貧困によって密接に繋がっている、と感じています。多くの人はハンデを意欲や努力によって克服していく美談を好みますが、実際には生まれながらの不利をバネにするよりも、そのハンデによって潰されていくことの方が圧倒的に多い。貧困に生まれれば、貧困から抜け出すことは、非常に困難です。虐待やネグレクトの発生は貧困世帯に圧倒的に多く、少年院にいる子供は貧しい家庭に育っている場合が多いことも事実です。
皆が貧しかった時代や、また貧しくとも家族の繋がりが密であった時代とは、違う。貧しく生まれれば一生貧しく、その子供もまた一生貧しい、その固定化が問題で、そういう層が広がりつつあります。ネットカフェ難民も、頼れる家族がいない、孤独な貧困者なのだと思います。独身、既婚、子持ち、子無し問わず、全ての人が未来の子供におんぶされているのだから、ハンデのある子どもの支援は、全ての国民の責務だと、私は思います。
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