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>科学を抜きにしても、有神論者の頭の中にしかないものを在るなんて言えないと思いますけど。(ラクシュンさん)
もちろん在るなんて言えません。信じない人にとっては無いのですからね。信仰とはそういうものでしょう?
肝腎なのは、たった一人しか信じる者のいない神でも、信じているその人にとっては「在る」ということです。
>ようするに、三輪山という自然物それ自体が神様なのですよ。こうした形態は北陸の白山信仰など少なからずありますが、ようするに「その山」「この川」「あの海」という、それ自体が神様。こうなると、これらの「神」は、「客観的に存在するもの」でしょう?(アニキ)
三輪山という自然物は客観存在ですが、そこに「神」を見たり感じたりするとき、その「神」は客観存在ではありませんね。もちろん、具体的なモノと同一化しているという点で、その神は超越ではなく、一種のフェティッシュ(物神)でしょう。
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