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>正しくは「ラディソ、オマルにはまる」ってなHNの赤い字の人。
私のPCに赤が表示されていたかどうかは忘れましたけど、たしかあの人のHNはオマルに“またがる”だったと思います。
#チョロくん氏があの人のシッポを踏んじゃって。(涙
>進化論の掲示板でmacskaさんが地下猫さんと暴れてて、
その地下猫さんのご意見が好きでしたね。
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1166959704/
私もこのスレッドに1、2回書き込みましたがそれは置いといて…
>こりゃぁ怒られるでしょ…ねぇ。
その議論の流れはそれなりに漠然と追尾していたつもりですが、それとは別問題として、地下猫さんのブログでの『神は妄想である』というドーキンスの著書に対する反論の仕方が(微妙なレベル?で)気になるのです。
もう一度その件に関連するエントリーを全て読み直さなければ何とも言えない(というロスが私にはシンドイ)のですけど、例えば、今の私が地下猫さん的な立場(?)に成り代っていれば、「(始めから)無いもの(=神)を科学では否定することはできないのだ。その無いもの(=神)を科学的な論拠によって否定している積もりになっているドーキンスが滑稽だ!」とハッキリ言うべきだと思うのです。
しかし、読後感的にはそうは言ってなよな、みたいな・・・だったら何が言いたいの?…みたいな・・・
何処かで神存在的なものを肯定したいのでしょうかね?
…で、私の関心事は、人間に意識がある(イヌ・ネコにもそれなりに意識があるという判断)ということから、わざわざ理神論的なものを(神存在の否定の)反例に持ち出すまでもなく、物質に拠らない意識(or霊魂)があるという命題を科学的に否定できますか?ということに行き着きます。しかし地下猫さんの論理では勿論否定できないと思うし、そもそもこの種の問題自体がその「科学」の範疇に入れるの?…みたいなとこですかね。
入れないのなら『神は妄想である』(だっけ)のタイトルに反感を抱く根拠も無いと思うし。
人間に意識があるからこそ、物質性(肉体)との関連性を自明なかたちで認識できている(≒観測選択効果)のですよ。
だからこそ抱かれる、人間の意識が認識しているその物質性の無いところに意識(霊魂)が無いなんて何で言えるのか?という疑問とほぼ同型的なかたちで理神論的な神存在が入り込んでくると思うのですが、これは一般的な認識での科学(≒無いものは科学では否定できない≒無いものは無い)以前の問題のような気がするんですけどね。
私の違和感の根幹はこのへんなのかなあ・・・
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