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>形而上学や弁証法はきっちりした定義のある学術用語ではなくかなり曖昧さを含んだ概念だから、
哲学って、案外いい加減なところがあるんですね。
>「自分はそういう区別をする」という人がいるならそれはそれでいいのではないかと。
なるほど、これからはなるべくそういうスタンスをとるようにしてみます。
>どうなんでしょう?
もちろんネガティブです。
著者は哲学史を弁証法と形而上学の闘争として描いているようです。
この視点に『権力と抵抗』の視点が(自分なりに)重なってきて、この点はなるほどなとは思いました。
しかし、『権力と抵抗』は全般にわたってラカン理論が中心におかれているので私にはいまいち?かな。
この本には「形而上学」という用語は使われてなかったと思います。
#日経平均が暴落だけど大損している人はいないよなあ。w
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