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うーん、もう少し読み進めていくと[弁証法的否定と形而上学的否定]という項目があります。
麦粒を畑に蒔けば、一定期間おけば再び麦になりますが、これを「麦粒が否定されて麦になった」と言うそうです。
他方、麦を挽いて粉にしたり味噌や焼酎にすることもできますが、この場合も「麦粒が否定されて粉・味噌・焼酎になった」と言います。
そして、両者は「麦自身」にとっては大きな違いがあり、前者の否定を「弁証法的否定」、後者の否定を「形而上学的否定」と言うそうです。
しかし、だから何なのと言いたくなります。
弁証法家は麦を消費しないのだと言いたいわけでもないだろう。w
なんとなくw偽の二分法(弁証法家による弁証法的区別)の匂いがしますが、まこういう考え方もあるんでしょうね。
#形而上学的否定はやめておこう。
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