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あーというか、私としてはこれではまだダメなんだ。
現段階での結論は、本来のアリストテレス哲学の「第一哲学(≒メタフィシカorフィジックス)」(フィシカの後)ではなく、中世ヨーロッパのキリスト教神学での「超自然学(=形而上学)」とパルメニデスの思想に類似性があった(?)から、それを「形而上学的」と表現しているのが(むかし読んだ論理学系)本の著者の立場、というのが正解なのかな?
と思う。
>Josefさん
>この、完全なる「存在」という表象が、プラトンの「イデア」なんかに繋がっていくのでしょう(たぶん)。
おそらく著者はそこまで考えてないような気がします。
最近読んだ『権力と抵抗−フーコー・ドゥルーズ・デリダ・ラカン』と今回の話題に、ある共通性みたいなものを感じるんですよ。
この二冊の本の著者の感覚、ものの考え方の共通性みたいなものをね。
本当はなにも目新しいことではないのかも知れませんけど。
>「無い」ものは知ることも思考することもできないと。
ここは私もパルメニデスがそう主張していると思っているし、またそのとおりだと思っています。
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