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>作者の意図としてはそうなのかも知れませんが、私の印象では「理不尽さを告発しつつ」というのがそうはなっていないというのか。見方によっては無理なく主婦への理不尽を肯定していると読み取れる内容が問題であったりするわけで。
>結局、「影」で「人を支える」過酷(?)な立場から弟子批判(二重の裁き)を演繹するには、自分自身が産出する理不尽の前提が不可欠だったという能天気な話でいいのかな。
だとすれば「不幸自慢」みたいなものだろうか。不幸な方がエライと。それに耐えられない奴はダメと。
重心は「理不尽への耐性=エラさ比べ」に移っていて、理不尽自体への告発は雲散している。それどころか、理不尽があってこそ、その犠牲者としての不幸自慢ができるわけだから、理不尽があってくれなきゃ自慢も自己肯定も他者への罵倒もできゃしない。
「女性差別」はフェミ子Aにとっては飯のタネ、フェミ子Bにとっては実存の支え、だからあっちにもこっちにも「女性差別」であってくれなきゃ困る。ドラマ中で「専業主婦」はこの種の「願われた女性差別」と同じ位置価を持って「主婦への理不尽を肯定」という倒錯へと至っている、…という感じですか。
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