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>ラクシュンさん:
>ほとんどが事実では話になりませんよね。
いや、そういうあやふやなことがないように確かめながらの話ってすごい大事だと思いますよ。そして、意見は私と違うけれど、だいぶラクシュンさんがどうしてそう解釈したのかつながってきましたもん。自分が本当に何かを言いたいときは、罵倒に罵倒で返したり、同じことを大声で何度も言ったりするんじゃ、逆効果になるだけですしね。
年末で忙しくなるから、じっくりとできなくて申し訳ないけれど、思ったままを書きます。
>未確認の部分をフェミ的な作者の意図などを勘案して想像すれば、ストーリーのあらましはこんなところでしょう。夫がリストラで職を失ったのをきっかけに妻が会社を興した。そして成功した。夫は以前からよく料理を作っていたがそれらの料理を妻は自分のオリジナルのように発表するなど、以前とは性格が一変した妻をあまり好ましく思っていなかった夫は妻に協力的ではなかった(夫の再就職については不明)。
>で、どういうわけか、妻が写真家殺しの容疑者になってしまった、と。
>そして身代わりに出頭してきた夫をそうとは知らない妻が罵倒する。
>が、真犯人は写真家の弟子だった。
↑この部分はラクシュンさんの言うとおりだったとしても、やっぱり私にはフェミには思えないや。この企業家の妻の例を見ても女性ばかりを礼賛しているのと違っているでしょう。そして、「妻に協力的でな」いというか、不満を持っている夫にしたって、ラクシュンさんに「優しそう」という風に映ったような描かれ方がされているわけでしょ?
>登場人物の位置付けとしては、稼ぎ頭=師匠=支えられる存在=光、主婦(or夫)=弟子=支える存在=影、といったところですが、ここまで言えば別スレで書いた署長の謎めいた科白もしっくりくるでしょう。
ここは少し乱暴になってしまいますが、これが商業目的で作られた芝居なのだという芥屋さんの見方と同じで、「疑惑の女」の夫婦が出てきたら、どう支え合ってきたかも含めて役割分担について触れられてしまうのは不自然じゃないでしょう? それをラクシュンさんは関連付けてしまって、メタファーがあったと「解釈」してしまったというのが、私の見方です。
>しかしドラマという虚構の中の女署長は、理不尽な夫を殺した妻に言えるんでしょうかね? 「アナタは人を支える仕事には就けない」って(バグ其の一)。
大抵は女性の「仕事」ってあまり関心もたれないから、そんなこと言うわけはないですよね。よく言う「非対称」があったとしても、それを不自然と思わないのが普通の世間一般ですから。
>こんな理屈が通ったら、推理ドラマの定番の一つといえる復讐ものの多くが成立しなくなりますよ(バグ其の二)。
いえ、復讐ものだって、復讐した犯人を捕まえなきゃいけない。理不尽じゃないんですよ。殺人がいけないのは世間一般もドラマの中でも一緒ですから。「太陽に吠えろ」のボスの台詞通りです。
まぁ、日曜の夕方にこんなことを書いている私って、ガキっぽいし、本当は暇だなとも思うのですけれど、思っていることは書きました。いずれまた、機会があったらよろしくおねがいします。
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