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愛読している玄倉川(くろくらがわ)さんのブログの最新記事『流言蜚語』より。
ttp://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/14d8f51b022eb923a560efde1e8786e2
彼が冒頭近くで言う「何かを事実と認めるにはそれなりの根拠が必要だ」というのは、もう全くそのとおりで、何でそんな簡単で、かつ、大事なことをおろそかにして他者を批判ないし批難しうると思い込むのか…。以下、結語部分から抜粋。
>無茶なハードトレーニングが体を壊すように過剰な疑いは精神の健康を傷つけてしまう。恐怖や怒り、恐れといった感情は非常に強いものだから、疑いがそれらと結びついたときに客観的事実を知ることをおろそかにして「強い疑いそれ自体が疑いの根拠」という状態に陥ってしまうことがある。それは健全な精神状態ではない。盲信が愚行に結びつくように、がむしゃらで頑固な疑い(「盲疑」とでも呼べばいいのか)に取り付かれた人は危なっかしい。
>怒りを燃やし疑いに取り付かれた人は他者を糾弾するばかりではなく「自分は何を求めているのか、どうすれば納得するのか、それは常識に沿うのか、現実的に可能なことなのか」自分に問い直してみてはどうだろうか。
フェミ(およびそのシンパ)による、柳澤大臣の舌禍事件について、私はこれを厳しく批判しました。玄倉川さんもその一人。でもですね、なにもフェミ憎しがゆえに「フェミが柳澤を叩くから彼を擁護しよう」みたいなもんじゃない。
「柳澤は、そんなこと言ってないじゃないか」「柳澤は、そんな意味で言ってないことは明らかじゃないか」…ただそれだけですよ。柳澤の論に賛成しているわけですらありません。「事実と違うじゃないか。政敵を貶められたら事実はどうでもいいのか」ということでしかない。
柳澤は自民党の大臣だから
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どうせ保守政権の大臣の女性観のホンネはこうだろうから
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きっとそう言ったに違いない。きっとそう言いたかったに違いない。
楽さん、あなたそれと同じ轍を踏んでるわけですよ。
「いい加減にしてくれないか」という私の嘆息は、そういうことです。
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