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>gajiさん
>「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)
例えば、生活費が1円もなくなった家庭があって、妻がスーパーから食料品を盗んで逮捕されたとしましょう。このとき多くの人は何と思うのでしょうね。おそらく「夫は何をしているんだ!」でしょう。考えてみれば、この意味には2つあって、1つは夫は何故働かないのか? もう1つは同じ盗みをするにしてもそれは夫(男)の役割だろう! です。これは復讐にも同じことが言えます。
こんな社会通念のなかで「男性犯罪が数として多」いなどということは、何の説明にもならないと思います。
そしてgajiさんの意見は、ジェンダーコードを否定(ジェンダーバイアスの補正)した場合、直感的にはただ端的に成立しないような気がします。
少なくとも、たまにはあるのが自然なんですよ。
>「同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)」?といった違和感が多数であれば、
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>そのようなドラマは採用されなくなるだけの話でしょう。
私が言うジェンダーコードのなかでは、そのような「多数」の違和感が表明されることはありません。
私はむかし、奇跡的なストーリーのドラマを見る機会があったけど、それっきりだなぁ。
その女の小説家は、あるポリシーを持っている人だったんですけどね…。
日本では受け入れなれないのよ。
なんだかんだで、いかなるフェミニストの言説も“ジェンダーコード”を無くしては成り立たないと思う。
あの(仮名)M氏にしたって、必ず義務(=責任の所在)は男ですから。(笑)
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