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ラクシュンさんご紹介の書簡を斜め読みしてみました(前置きが長すぎですね、この書簡)。茂木クオリア論を読んで「私」という(絶対的)主観性に引っ掛かるものを感じるのは私(=Josef)だけではないようですね。
斎藤氏はこう書いています。
**********斎藤氏第一書簡引用開始*********
ところで、私の感ずる疑問の第一は、まさにこの「クオリア」という概念にきわまります。
「クオリア」を肯定することは、「この私」のゆるぎなさを肯定することです。
「この私」という立脚点を肯定することなしに、クオリア概念をつきつめて考えることはできない。言いかえるならば、クオリアについて考えることが可能であるためには、認識の主体である「この私」の肯定、すなわち実体化が前提となるのではないでしょうか。
[中略]
ほんらい茂木さんは、随所でポストモダン的な発想に違和感を表明されてきたはずです。これはある意味では当然のことで、そのこと自体の当否を、今は問いません。ただ、ポストモダンへの嫌悪と、ラカンの思想の肯定的評価とは、けっして両立し得ないものです。その意味で茂木さんがラカン入門書などに向けてとるべき態度は、「まだそんなことをいっているのか!」と一喝後、本はくずかごに直行、というものであったはずです。
ポストモダンとされる思想に共通のものがあるとすれば、それは「主体への懐疑」にきわまるでしょう。ラカンをポストモダニストに位置づけるかどうかは議論のあるところですが、それを準備した「思想家」のひとりであることは間違いない。ラカンの思想は、欠如と逆説の思想です。「人間」とは、欠如した主体の周囲に構成された幻想の一種であると見なすのが、ラカン派です。
それゆえラカンは、デカルトのコギトを一蹴します。「我思う、ゆえに我在り」ではなく、「我思う、または、我は在る」だ、とはラカンの有名なジョークです。これは簡単にいえば、思う「我」と在る「我」とが、すでに同一物ではないことを意味しています。そのように、実感的に理解された「我」なるものは、シニフィアンの連鎖がもたらした想像的効果にほかならない。これがラカンの主張であって、それゆえラカニアンにとっての「クオリア」なる概念は、典型的なナルシシズムの徴候、ということになります。証明ができず、「あるとしか言えない(糸井重里)」場所にこそ、ナルシシズムは強く滞留するでしょう。
**********斎藤氏第一書簡引用終わり*********
ラカンを別としても、茂木クオリア論で「私」がそこに含まれるor前提されるのはおかしいのですね。だいぶ前、私はラクシュンさん、じゃなくて楽俊さん宛てにこんなことを書きました。
>ところで、茂木の考え方で納得がいかないのは、クオリアを「私」と不可分で
>あるかのように考えているところです。
>「ギラギラ」「ピカピカ」をクオリアというなら、動物の方が直接的にクオリアの
>中に生きていて、人間は解釈や判断などの知的操作によってむしろクオリアの直接性
>から遠ざかって生きているのではないかと思うのです。(*蛇足ですが、だから
>人間はより直接的かつ強烈なクオリアを渇望しているのではないかと思います。
>その手っ取り早い手段がクスリ。)
>はたしてアメーバはクオリアを感じないのか。感じるとしたらアメーバにも
>意識=私はあるのか。それともアメーバには意識=私がないからクオリアもないのか。
>
>茂木は、そういう問題をすっ飛ばして、「クオリアを感じ取る意識イコール私」と
>あまりにも素朴に結びつけているようにみえます。そのため「意識とは何か」という
>問題設定(本のタイトルでもある)が、「クオリアの解明」という問題設定に
>すりかわっています。
>
>>私たちが感じるクオリアが<私>という主観的体験の枠組みと無関係には存在
>>しえないという事実は、次のようなことを考えてみてもわかる。(158頁)
>
>と茂木は書くのですが、「次のようなこと」で挙げられるたとえの中では
>すでに「Aさん」という人物が<私>を持っていることが前提となっています。
>これはトートロジーであって、感じられるクオリアと<私>とが無関係には存在
>しえないという「事実」の説明にはなっていません。
>
>私はクオリア現出に<私>は必ずしも必要ないと思います。いや、茂木のいう
>クオリアなら<私>を必要としないというべきでしょうか。
なんで茂木は「私」にこだわるんでしょうね。
ところで斎藤は「価値」(さらに「倫理」)についても批判していますが(上の引用より後)、当然価値はクオリアとは言えないでしょう。「ギラギラ」「ピカピカ」と「良い、悪い」が同じレベルで語れるわけがありません。「クオリア」でこういうところまで引っ張っていこうというのは調子に乗りすぎで、せっかく頭いいんだから、書く時間を減らして考える時間を増やした方がいいんじゃないかと思います、茂木氏は。
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