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遅れましたがぁ…
ttp://macska.org/article/192#comments
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ラクシュン のコメント
2007/07/08 - 03:48:01 -
>だから、ラディカルフェミニストが実際に何と言っているかを読みもせずに、「自分を『女』として自認している」と決めつけるのはおかしい、とわたしは言っているのですが。
何に拘っているのか私にはよく解りませんが、Bresnahanというラディカルフェミニストの文章など読まなくても、「トランスジェンダーはレズビアンと違って保守勢力の保護を受けている」としてFTMやMTFを排除しようとする人に、「女」の自認がないはずがないということは自然な推測の範疇内ではないのでしょうか。サードジェンダーなどの可能性を視野に入れているとしても、それでは逆にラディカルフェミの「定義」によってフェミニストとは言えなくなってしまいます。
>もしかしてラクシュンさんは、オカマとは男性同性愛者のことだと思ってるのかな。
「オカマ」が同性愛的な意味合いではないとすれば、「そういった人たちはオカマとしてジェンダー制度と闘うべきであり、」までは理解できても、「「女性」という抑圧的なカテゴリに適応すべきではない」、の意味が不明です。そんなことするはずないでしょう。
>構築から脱却することは無条件に素晴らしい、というのはラクシュンさんオリジナルの思想ですか? ここまで何も知らず理解していないことに自信をもって発言できるというのも、珍しいですね。
べつにオリジナルと言えるほどの代物ではなくて(笑)ラディカルフェミニズム的構築主義が、セックス/性自認(ジェンダー・アイデンティティ)/性役割(ジェンダー・ロール)の対応関係の無根拠性を主張する思想なら、FTMを「排除」(or敵視)する理由がないと思うのです。まぁ、現在のこの男女の役割パターンから、あの役割パターン(役割付けの無化?)への社会的移行を目的としている場合には邪魔な存在にはなるのでしょうが、「構築」されたものには根拠がないなら、”あの役割パターン”にしたって根拠なんてなくなるわけでしょう? またこの立場は、セックス・性自認の一致(対応関係)を自明の前提とする立場でしかありませんよね。性別が「女」(性自認=女)のままで任意のアル役割を担いたい女の集団でしかないのだから。
そして、(それがどんなものであれ)”あの役割パターン”が社会的に浸透したとしても、男女の役割に統計学的有意差が見出されれば、「うーん、まだまだジェンダーの「構築」は根絶されていない!」と判断するのがラディカルフェミということなんでしょうね。こうなると、生物学的嗜好まで許されなくなりそうな雰囲気ですね。だとすればこの思想は、当然のこととしてセクシュアル・オリエンテーションにまで拡張されてしまいます。
しかしどうなんですかね、「構築」とか何とか言ったって中身は単なるセパレーショニズムに過ぎないじゃないですか。セクシュアリティを基準にして他カテゴリーを排除し合う思想なら、「保守勢力」(普通の男)に対する批判に説得力までなくなりそうな気がします。
であと気になることといえば、生物学的性別である「女」の中のごくごく一部の中の一部に過ぎないと思われるラディカルフェミニストは、性に基づく役割付けそのものを根底から無くしたがっているように見えるのに対して、MTF・FTMの多く(および、どうも生物学的性別である「女」の大多数)の人はそれには否定的な印象を受けています。私はこの両者のズレor対立(フェミがMTF・FTMを排除したがることも含む)は、<セックス>と<性自認(ジェンダー・アイデンティティ)>が一致していない人たちの研究(≒マネー理論)から、<性自認>と<性役割(ジェンダー・ロール)>の独立性を捏造していることの証左ではないのか、ということです。
まだよく確認はしていませんが、とりあえずこう考えると、なんとなく、もしかすると「ラディカルフェミニズム・レズビアンフェミニズムの立場に立つ人がどういう論理でトランスジェンダーを否定するのか」というmacskaさんの疑問も解けそうな、気が、してきませんかぁ?
もちろん、絶対に解けるという保証はありませんけど。
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勢いで書いたのですが、フェアにやりたいので…気になる所があれば何でも書いてください。
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