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>よーさん:
>権力関係におけるマジョリティとマイノリティの話のようですね。マジョリティをそのマジョリティの属性ゆえに侮辱しても差別ではない、と。
んー、どうでしょうか、少なくとも「日本人が世界のどこで侮辱されても」という以上、アメリカのなかで、まっちゃんが「Jap!」って愚弄されることも実地の体験であると思うんですが、「侮辱されるだけなら日本国籍の後ろ盾があるから差別じゃないよ」ということだろうな…ラディカルだなぁ(でもあのシトの反骨なら言いそうだ)、と思ったもので。
>ある特定の関係を「正式」とし、言祝ぐべきこととしたとき、底にある売買という性格が隠蔽される。そのためそれを露わにする行為は悪いこととされる。逆にいえばあからさまな売買を「悪」とすることによってはじめて、「正式」な関係を良きものとする慣習・心性が保たれる。そういう力学がはたらいていると思うわけです。
正妻は亭主専属契約の娼婦なり…みたいなやつですかね。ここで私が思うのはちょっと別のことで、「男の浮気は大目に見られがちだが、女の浮気がより責められ嫌われる」というのと近似だと思うんですよ、生理的嫌悪感。「雄が多くの雌を連れたコロニーは普通だが、逆は?」とか「配偶外交尾に関して、雌より雄が、配偶者への攻撃が顕著」というアレですね。
雌どうしの嫌悪感、雄どうしの嫌悪感、そういうのがからんできそうかな、と。「売る女」への「売らない女」の嫌悪感、「遊ぶ男」への「遊ばない男」の嫌悪感、というものもあるかと。
>だから売買春への蔑視をなくすには、結婚など特定のエロス的関係を「正しい」とする共同幻想を解体しちゃえばいい。貞淑も淫乱も、貴婦人も売女も、一皮むけばみんな同じだ、と。実際そうなんだし。ところが私はこの「正しい」という文化・制度を見事な発明品だと評価していて、存続することを良しとしています。そしてそう評価する以上、非正式な関係とりわけ売買春をマイナスに評価する(=蔑視する)ことを許容せざるをえないのではないか、とまあそんなふうに考えているわけです。
売春合法化論が婚姻制度廃止論と直結するとそうなりますかね…。どうでしょうか、正妻と愛人の地位問題とは違って、正妻と遊女の地位問題は、婚姻制度論と直結するかなぁ、というのがあります。正妻の社会的地位を揺るがしかねないのは愛人の社会的地位であって、遊女の社会的地位が上がっても正妻の地位は揺るがないように思うんです。
なぜって、遊女…娼婦というのは職業の名でしょう、ある男との関係性の別ではない。その娼婦が誰かの正妻になったり愛人になったり恋人になったりするわけであって・・・と思われませんか?
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