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>macskaさん:
返事が遅れました(忘年会続きで…)
>「形式的か実質的かなんて主観の問題」はないよなぁ…
そう言われたように感じたんですか。でもそれはニュアンスが違うなぁ。macskaさんとtpknさんによるセクハラのレクチャーと同じような意味で私は言ったのですが。
「それがセクハラであるかどうか、まずは訴える側の主観が大事」「それが客観的に見て本当にセクハラかどうかの確認も必要」というのは、「だって本人が嫌がってもいないのに、誰かが勝手に(客観的に)セクハラだと言えるわけないでしょ?」「本人の主観が大事だというのは訴えやすくするためのものでもあって、かといって訴えたら何でも主観どおりに認められるというわけでもないのも当然」ですよね。それを「セクハラとして成立するかどうかなんて主観の問題」とは言わないし、そのように言うのは誤りでしょう。
形式ばかりの平等だ…というのも、実際にはこのように不平等なんだと訴える側の主観抜きに、勝手に第三者が「客観的に」言えるようなことではありませんよね。逆に「いいや、既に平等じゃないか」という反論だって同じことだ…と私は書いたわけです。その一例としてmacskaさんが挙げた同性婚を取り上げましょう。macskaさんが挙げた二例のうち、「これくらい単純な例だとさすがにそれは差別的だとすぐ分かります」とした婚姻についてです。macskaさんは
>「誰でも任意の異性と同意の上で結婚できる」というルールは、異性愛者には都合が良いですがその他の人にとっては不利です。
としますが、そもそも「誰でも任意の異性と同意の上で結婚できる」という言い方はしないのではありませんか?この表現はあらかじめ「異性愛者には云々」という結論を内包した言い方であって、そのようなルール認識ではないはずです。
普通は「男女は誰でも任意の相手と正式に結婚できるべきだ」ということを言うはずです。なぜなら「結婚」とは、男女が正式に夫婦になることだから。
したがって、「正式でなくて良いではないか(正式な夫婦という発想をやめてはどうか)」という婚姻制度廃止論がある一方で、「男どうし、女どうしでも正式に夫婦になれて良いではないか」が出てくるわけです。つまり、そうなると婚姻という概念そのものに変更を要求する主張なのですから(ここでは婚姻制度廃止論や同性婚論の是非は問いませんが)、これは「そのルールで謳われている平等が、実際には形式的なものにすぎない」という例としては不適切です。現在の「婚姻の平等(というか自由恋愛婚の公認)」が謳っているルールについて、同性愛がそのルールの範疇外であるのは当たり前であって、形式的か実質的かという問題ではありません。
「ある男女が、ただ恋仲なのではなく、同棲しているだけなのでもなく、正式な夫婦の仲である」が婚姻なのですから、「男女のカップル以外の全てのカップルに、正式な夫婦になれるように改めるべき」という主張は、結局のところ「男どうし、女どうしでも夫婦と言えるか」ということになるのであって、Josefさんが言うように、
>>「実質とは何ぞや」という議論を含めて、意見はしばしば分かれる。この水準で「主観」という言葉が使われているのです。
ということなんですよ。
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