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>楽俊さん:
>前から疑問に思っているんだけど、この「実質的平等」とその対義語と思われる「形式的平等」との区別の定義はどうなっているんでしょうかね。
ごく普通に考えて、その制度が「実のある平等」なのか「形だけの(名ばかりの)平等」かということですから、それは主観の問題でしょう。ある人から見れば「既に実が伴っている」と見えても、他の人から見れば「いや、名ばかりです。形だけですよ」と見えることがある場合、お互いの主観の突き合せをやっていくしかないわけです。
>私の勝手な思い込みから言えば、言ってる本人もその区別が解っていないと思うんですけど。
いやぁ、それはちょっと違うでしょう。ある制度について「ここで謳われている平等は名ばかりのこと」と訴える以上、訴える本人の主観の中では区別がついているわけです。これは「既に実が伴っているではないか」とか「そんなことしたら逆に不平等になってしまうではないか」として反論する側についても同じで、自分の主観の中では区別がついているのと同じです。
問題がこじれるというか堂々巡りになる場合は、訴える側が自分の主観を客観と思い込んだり、訴えを斥ける側が自分の主観を客観と思い込んだりするときでしょうね。自分の側こそ客観的であって相手は主観的な思い込みに過ぎない…として一方的に同じことしか言えない場合、その人には主観と客観の区別がついていないのだと思います。
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