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アニキ
>書き手はジェンダーフュージョンしている面もあるにしても、読み手はどうでしょうか。逆に言うと、市場として確固とジャンル分けが成り立つくらいに、ニーズは分かれていると思います。
そのニーズとは結局のところ「差異」創出への欲望ではないかと思います。本来の男女の差異から「少年マンガ」「少女マンガ」の差異が生まれるというより(それも多少はあるかもしれませんが)、違った存在でありたい、あってほしいと欲望から「差異」が要請されるのではないか。先に「内容」があって、その「内容」にしたがって「少年/少女」に振り分けられるのではなく、「少年/少女」という振り分けが「内容」に先立ってあるのではないか。
ジェンダーみたいなものもまた、そうした欲望の産物ではないかと思います。たとえば「らしさ」の内容は時代や文化によって変わるし、変わったって構わない。内容は二の次で、区別があることそれ自体が欲望されているのではないか。その差異は「本来性」のようなものに必ずしも基づいてはいないからこそ、男にも少女マンガが描けるし、女にも少年マンガが描ける。
そして面白いことに、そうやって「らしさ」みたいな区別を創るくせに、そのまんま「らしい」男女には意外と魅力を感じないものです(まあ人によるでしょうが)。むしろ「らしさ」からのズレ、そのズレた在り方に魅力を感じてしまう。まるで「らしさ」とは、そこからさらに「らしさからズレていること」の魅力を創出するために在るかのようです。
>女の子は少年漫画を好きに愉しむのに対して、男の子はそこまではないわけで。少女マンガが「すごい特殊なジャンル分け」として成り立っているのは、やっぱもっと根っこの部分があると思います。
私が思うに、少女マンガは「特殊」領域でなければならないのです。それはいわば禁断の花園であり、そうであることを生産者・媒介者・受容者から成るマーケットが共犯的に欲望している。もちろん読んでみれば内容は「禁断」でも何でもありません。「禁断」という形式が重要なのです。そのことがまた、受容から疎外された形の「少年」の欲望の対象となる。少女マンガを「語りたがる」のはたいてい男であり、それは男が女を「美」や「魔」として描いてきた歴史と重なるものなのではないかと思ったりもします。
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