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>macskaさん:
>その通りです。それらを不均衡に分配するベースとして性別や人種や宗教といったものがよく使われますが、ジェンダー規範への合致というのもその1つであるとわたしは考えているわけです。
性別とか、人種、宗教というのは、その中に人間が生まれ落ちるわけですから、本人の努力で選べないものですね。男が女になることもできなければ、白人が黒人になることもできない。宗教は改宗ということがあり得ますが、これもたいていは、宗教共同体の中に生まれ落ちるわけで、母国語が変更しづらいように、宗教というのは、なかなか変えられるものではない。ムスリムの方は、日本に来ても、「豚肉は気持ち悪くて口にできない」とおっしゃいますし、私も除夜の鐘を聞いてから、初詣に行かないと、なんだか正月が来たような気がしない(^^)
近代社会では、そういう、人が、変更しずらいようなカテゴリをもって他者を理不尽に扱う行為を「差別」と呼んでいるわけですよ。「生まれつきで、努力によって変えられないのに、扱いを変えるな!!」ということです。「障害者」差別も同様ですよね。
じゃ「ジェンダー規範」は??というと、これは時代によって、内容がめまぐるしく変化する。しかもジェンダーは文化的なものですから、ある程度、努力によって学習して修得もできる。何のためにファッション雑誌ってものがあるんだ(^^)
ある文化が慣習的に採用している男性用のジェンダー規範と、女性用のジェンダー規範の内容に「権力や機会や富や資本やケイパビリティ…などの不均衡な分配」があれば、もちろんそれば「差別」ですが、これは性別による差別であって、「ジェンダー規範への合致」差別ではない(^^)。
「ジェンダー規範への合致」差別とは、ちなみに「ジェンダー規範に合致したい人」と「ジェンダー規範に合致したくない人」の間におきる差別ではありません。「合致したくない人は、合致しないと不利なのがわかってやっているんだから勝手にしろ……」ですね。むしろ「生まれつきジェンダー規範に合致できる人」と「生まれつきジェンダー規範に合致できない人」の間に起きる差別のことです……。
考えられるのは「性同一性障害者」と「異性装的フェチシスト」と「同性愛者」と「半陰陽者」あと「容姿が不自由な女性」と「虚弱体質の男性」くらいかな……。
ところで、そういう方たちの中で、はて「一般的に男がスカートをはかないのが差別だ」と主張している人は……??????
>わたしは「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」のうちどれが差別にあたりどれはそうではないかという定義を主張しているのであって、「差別でなければ、何をやっても良い」と主張していません。当たり前ですね。
「制度化」してるのが「差別」というんでしょ。でも、議論になっているのは、「カテゴリによって他者を扱う行為」自体が、理不尽か、理があるかで揉めているんじゃないですか?
「男性用がスカートが市場にないのは差別だ」VS「いや、需要がないだけで、市場による自由は確保されている。作りたければ布地を買ってきて作れよ!!」
「女性だけが化粧を要求されるのは差別だ」VS「いや、女性が化粧を要求されるようなフォーマルな場では、男性もそれに相応する身だしなみが要求されるはずだから、差別ではない。男も眉を整える時代に何を言ってるか」
理不尽か、理があるかを問わないまま「カテゴリによって他者を扱う行為」が制度化したら差別だと定義してしまうと、「偏差値の低い人でも、東大に入れないのは差別だ」「労働意欲のない労働者が意欲のある労働者と同一賃金でないのは差別だ」「芋洗いをするサルを、サル山のボスが優遇して芋荒いするサルが増えるのは差別だ」となってしまって、人類の文明はサル以下になってしまいまつ(--)
>それを言い出せば、わたしから見ればチベット仏教は仏教本来の教えからかなり離れているように見えます。
すまん、それは私の誤字です。三宝帰依(仏宝僧)→三宝帰依(仏法僧に帰依する)、これが仏教本来の教えです。私の誤字です。
ちなみに三宝帰依(仏法僧)の教義ない仏教というのは考えられません。イエスがメシアであることを認めないキリスト教とか、六信五行の教えのないイスラム教のようなものです。チベット仏教を誤解させるようなカキコをしてしまった、すまんかった。
あれっ、Macskaさんが言ってる
>チベット仏教は仏教本来の教えからかなり離れている
とは、私の誤字のことじゃないのか? ひょっとして
ちなみにチベット仏教の正統な教義は「中観帰謬論証派」です。ばりばりのナーガアルジュナの正統な後継者です。ダライラマ14世猊下が「仏教入門」でお書きになられているくらいだから、間違ありません。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334780059/ref=sr_11_1/503-6361717-0998349?ie=UTF8
ウィキペディアにもほら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99
>基本的には龍樹の中観を中心にして、存在・認識に対する論理的思考能力と論争による智恵の獲得を重要視し、
で、誰が「中観派仏教徒」でしたっけ……(^^)
>「〜だと言ってしまうと」そうなる、というのはその通りだけど、わたしは一度もそう言っていない。
>>「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどないわけですね。
で、どうしたいのmacskaさんは……
>でっちあげというのが言い過ぎならば、かなり極端な解釈によってはじめて成り立つ主張だと思います。もしジェンダーフリーだけでなく全ての思想を同様の基準で解釈するならば、保守革新問わず全ての思想に全く同じ問題が見いだせるでしょう。
やっと、そこに到達したか。
思想の暗黒面に堕ちたら、ジェダイも、保守も、革新も、バックラッシュも、フェミニズムも同じことなんです。
「ブレンダと呼ばれた少年」を政治的アジェンダにした八木秀次を批判するなら、同様な理由で、マネーの双子のケースを「特性論批判」のための政治的アジェンダとして利用した小倉知加子や上野千鶴子ら、フェミニストも同罪ということですよ。
いや、その時は、マネーの双子のケースは成功していたと思われていた。というのはいいわけにすぎません。成功をフェミニストがあまりに喧伝してしまったから、マネーが「失敗でした」と認めづらくなってしまったということもあり得ますからね。
上野千鶴子なんか、かって「双子のケース」を取り上げたところに、今度は「TS臨床」を挿入して理論を補填すらしている。性同一性障害の人の迷惑など、まったく考えてない。懲りない人だ。
ルソーの影響を受けた近代政治思想をすべて「異端の思想」と断罪する中川八洋がキチガイなら、国家がかかわることは、戸籍制度から婚姻制度まで、すべて「国家権力の抑圧」としか考えられない福島瑞穂だってキチガイということですよ(^^)
わかりますか?
だから、キチガイがキチガイを、阿呆が阿呆を呼んでいているんだと最初から言っているじゃん。
「極端な解釈」というより、昔は、わらわらいたんですよ、学校教育の現場に……。たいてい「ヒノキミ闘争」と重複してるジェンフリ教師の群が……。バックラッシュが始まってから、パッと消えたけど……(^^)。その横暴に、いらついていた保護者はかなり多数いたと思いますよ。そういう方たちが、今、安部さんを支持しているわけです。
>学問的な見解を「政治的に都合が悪いから」と捩じ曲げるのはよくないでしょう?
論理的にも破綻していて、政治的戦略にも使えない。使って戦略を立てたら、誤爆が増えて、問題を増やしてくれるだけの、「差別の定義」を「学問的な見解だから」という理由だけで擁護する気にはまったくなれない。
まあmacskaさんの個人的見解だから、macsukaさんが信じるのは勝手だけど、世間的には「電磁波にスカラー波がある」という学説を、二コラ・テスラの「学問的見解だから」と擁護するのと同じだと思う。
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