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macskaどん:
>> あのですね。「押しつけ」が起こるとしたら「男は男らしく育てる
>> べきだという価値観を強固として持っている親の場合」がもっとも
>> その可能性が高いわけですから、それを除外したらあなたの主張
>> (パンフの解釈)はなりたたないでしょう?
>
>勝手に仮定を増やして議論を進めないように。
増やしてないです。
「押しつけが起こるとしたら」という仮定は、あなたの「パンフの趣旨は押しつけをやめようということだ」という主張を受けたものにすぎませんから。
あなたは「パンフの趣旨は押しつけをやめようということだ」と言い、その後に「何が押しつけにあたるかは各自勝手に判断すればよい」と言ったので、そういう解釈ではあなたから見て「押しつけ」をやっていると予想される人々の行動を肯定することになる、という話をしているわけです。
要するに、あなたが「押しつけ」の内容についてここに至るまでついぞ説明を避けていることから、こういう矛盾が起きているだけの話です。
>> あなたは、それらの例示は価値中立的なもので押しつけにあたると
>> はどこにも書いてないと言っていますが、反語であればそのような
>> 解釈は成り立たないです。書かずに言うのが反語ですから。
>
>ああなるほど。確かに「書かずに言う」ことは文章表現上よくありますが、あそこにひな祭りと書いてあるというだけの事実から「ひな祭りを否定している」という意味を読み取るのは過剰な解釈だと思います。まぁこれは解釈論になってしまいますが。
最初から解釈論なのですが。
だからこそ、「ありったけの証拠を集めてこい」みたいな議論は無意味だという話を最初にしてあるでしょう? それに、「あそこにひな祭りとい書いてあるというだけの事実」とおっしゃいますが、それは「押しつけてませんか?」という問いかけと組合わさって「反語」をなしているのですから、このような押しつけをやっていませんか?と読みとるのが普通だろうと言っているのです。最初から。
もうひとつ、それが単なる問いかけではなく「反語」だとする根拠は、その問いかけが「啓発パンフ」の中でなされているからです。よりよきことをしましょうという趣旨の出版物において「〜をやってませんか?」と問いかけることは、「〜をやらないようにしましょう」と同義なのですよ。それは、あなたも「押しつけ」については認めているでしょう。
ではその「押しつけ」とは具体的に何を指すか。そのための例示でしょうが。ところが、あなたはなぜかその部分だけは無視するわけです。そして無視するだけでなく、「妄想」だとか「醜い政治に加担」だとか「デマ」だとか、口汚く罵倒するわけ。
あなたはパンフの表現が「誤解」を招きやすいものだったことはすでに認めているわけですが、そういう表現によって、学者でもない人々(パンフの対象読者)が「誤解」してしまったのだとしたら、それはパンフが悪いのであって誤解した側じゃないでしょう。なのに、なぜ罵倒できるのです?
しかもそれは、実際には「誤解」ではないわけ。仮にパンフ製作者の意図がその解釈と違うのであっても、書いてあることはそうとしか解釈できないのだから、読者が「誤解」したのではなく、パンフの作者が「書き間違えた」のだというのが妥当な解釈でしょう。
あのね、Macskaさん。これ、皮肉で言うわけじゃないんだけど、ほんとにわかってないのですか?
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