| |
>純子さん:
黒人奴隷の発生には、現地の黒人国家の抗争による捕虜を売りさばくことが大きかったこと、これは日本の戦国時代にも同じ構図があったこと、イエズス会の布教と結びついた信者による寺社への焼き討ちや領土献上や人身売買の横行が切支丹禁圧につながっていったことなど、意外に盲点にされていますね。スペイン・ポルトガル両国の征服活動の常道が行われていたというのに…
何故か切支丹の悲史としてしか教えられていない。そりゃぁ、島原の乱とか悲惨極まりない話ですし、貧しくとも敬虔で慎ましやかな切支丹の人たちまで煽りを食って弾圧の憂き目にあったことを軽んじる気はないのですが、当初はキリスト教に好意的だった為政者サイドをして禁圧を決断させた背景がズッポリ落とされて語られるのはいかがなものか?と思うんですよ。
ところで「奴隷」というと、あまりにも悪名名高い黒人奴隷のイメージなのですが、世界史ではもう少し広い概念ですね。もう一つ有名な奴隷階級がイスラム社会の「マムルーク」です。トルコ系の男子が奴隷として売買されるんですが、このマムルークとは「武将の家財としての戦士」であるから奴隷身分なのです。ところが、戦功を立てれば出世できるし、軍閥の中で重きをなすこともできる。だから貧しいトルコ系の家庭では息子をマムルークとして売ったり。そして遂には、奴隷身分である彼らが、衰弱して混乱した王家を倒して自分たちの国家を建設したエジプトのような例もあります。いわゆるマムルーク朝。
マムルーク朝、とは言うものの、王朝国家ではないんですね。マムルーク軍団から代々スルタンが推挙される。ちなみに、初代のスルタンはマムルークから一人、宮廷の女奴隷から一人、二人で君臨したようでして。このマムルーク軍閥のエジプトは、何と、あの、モンゴル軍をシリアで撃破してイスラム世界を守ったことが特筆されます。バクダッドが陥落して、怒涛の勢いでカイロを目指していたモンゴルの騎馬戦隊がそのままエジプトまでも占領したら、イスラムはどうなっていたかわかりません…。なお、海戦では弱かったモンゴル軍ですが、陸戦で撃破されたのは、このエジプトだけなのでした。
ところで、古代日本の「奴婢」って、どういう感じの身分だったんでしょうねぇ。もちろん、使用人の家財として売買される身分の人たちだったと思うんですが。古代ギリシャのイソップみたいな人も身分は奴隷だったわけで、ひとくちに奴隷身分と言っても実際にはいろんな暮らし方・扱われ方があったと思うし。
|
|