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>閑話休題 奴隷制の歴史
↑これは「閑話休題」の誤用では?「奴隷制の歴史」の方が本題だったかに見えちゃいますよ。
それはさておき(=閑話休題)、
>macskaさんのこの発言が妙に気にかかってしまった。
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>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。
奴隷制が差別ではない時代もあった、というより他はないでしょう。「現代から見てどう評価するか」と「当時はどう評価されたか」とは二者択一ではなく、両立する別の視点です。上のmacskaさんの文は両者がごっちゃになってますね。
ある行為・事態を「職場の常識」によって「差別ではない」と判断するからといって、奴隷制を認めていた過去の「常識」をも肯定することになってしまうというのは謬論です。ある行為・事態を「差別ではない」とする現代の「常識」は、その同じ「常識」によって、過去の奴隷制を「差別だった」と判断するでしょう。
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