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macskaどん:
>> 黒ランドセルと副委員長の例示とひな祭りの違いは、事象そのものが
>> ジェンダーを内包しているかどうかにあります。ランドセル自体は色
>> も含めて中立です。委員長もそうです。しかし、ひな祭りは、存在そ
>> のものがジェンダー的に中立ではありません。中立にしたらひな祭り
>> ではなくなってしまうからです。多くの人がひな祭りや鯉のぼりに反
>> 応したのは、そういう違いを直観的に読み取ったからでしょう。それ
>> は極めてまっとうな感覚だと思います。
>
>パンフにはひな祭りを「ジェンダー的に中立にするべきだ」と書かれてはいませんし(押し付け・決めつけは子どもの可能性を疎外するから良くない、とは書かれています)、
では「女の子だからひな祭り」の何が問題なのかわからなくなります。ジェンダー的に中立にすべきと言っていないのなら、「女の子だからひな祭り」であっても押しつけや決めつけにはなりませんから。
> そもそも挙げられた項目が「ジェンダー的に中立かどうか」は問題にすらされていないのですが、論理的にここがおかしいと考えたというのではなく「直感的に」という言い方をするならばそういう可能性もあるでしょう。
私が書いた「直観的」を誤読されているようです。ひな祭りとランドセルにおける論理の違いを、「直観的に」読みとったと言うことですね。すなわち、その直観にはちゃんと合理的な理由があったわけです。つまり「ランドセル否定といったらおかしいからひな祭り否定もおかしい」というのは、論理的にきちんと説明できる間違いなわけです。
>その場合、黒ランドセルとひな祭りのあいだにそういう「直感的な受け止め方の違い」があることについては、パンフ著者は多分考えてもいなかったのではないでしょうか。だって、パンフ著者は、「これらの項目を全てジェンダー中立にすべきだ」と主張していたわけではなくて、「押し付け・決めつけをやっていないかふりかえってみましょう」と呼びかけていただけですから、そんな理由でひな祭りの項目が反発を浴びるとは思ってもいなかったはず。
もちろん、パンフの著者がそんなこと考えてもいないのは明白です。だからアフォなパンフと言われてるわけです。つまり、ジェンダーというものに対する考察が非常に甘いというか、レベルとしてはxanthippeさん程度の表層的な部分でしかジェンダー規範というものを理解してないのでしょう。
さらに、「これらの項目を全てジェンダー中立にすべきだ」と主張しているかどうかについては、そもそも論点ではないのであんまり言っても意味ないです。「すべて」かどうかは、誰も問題にしてませんから。
>ところで、自分の考えをいつの間にか「多くの人」の考えにしちゃうのはやめましょうね。多くの人というけれど、実際にパンフを手に取って「これはおかしい」と気付いた人がどれだけいるのか。国会で取り上げられたり雑誌で批判されているのを読んで「それは酷い」と思った人でも、実際に入手して読んでみた人なんてごく少数でしょう。
この主張をするのが「多くの人」でないのなら、別にあわてて反論本を出版する必要もないでしょう。それから、多くの人」は、別にパンフを読んでおかしいと感じた人の数ではありません。どちらかというと、批判によって初めて気づいた人、あるいはなんとなくおかしいんじゃないかと思っていたけど批判を見てやはりその思いが正しかったのだと判断した人などがほとんどじゃないかと思います。
また、「多くの人」かどうかについては、googleでジェンダーフリーを検索することによってヒットする項目の内容で、ある程度客観的に推し量ることもできます。少なくとも、ここでは政治的立場を異にするJosefさん、芥屋さん、純子さん、楽俊、私などがこの点については一致しているわけで、そういう意味でも「多くの人」と言っていいかもしれない。「多く」とは誰だ?なんていうクソサヨ的揚げ足取りは、時間を無駄にするだけなので控えていただければありがたいです。
>センスと言えば、伊田さんがよく山口さんらに向かって「政治のセンスがない」と批判してますね。
>よく言えるなーと思ってますが。
どっちにしろ政治のセンスなんて一般人には関係ない運動屋の論理でしかないので、まあどうでもいいです。
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