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http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=790;no=979;id=keya1984
↑の続きです。まず、この中でmacskaさんの特に目に付いたレスのうち少しだけ感想を書いときます。ご参考までに。
>会社で毎朝キリスト教のお祈りをするように強要されたら、その会社がキリスト教関連会社でもない限り問題でしょう。ところが現実に、化粧品のモデルとして採用されたわけでもないのに、毎日化粧をするよう強要されている労働者がいるわけです。
キリスト教関連会社でもないのにそんな会社あるわけないじゃん…って、あぁそうか、キリスト教系のカルト教団が表向きは一般の会社のように見せかけて、入社した人をいつしか洗脳したら…ということか。それは別の問題だよな…。ところが、普通はモデルでなくても女は化粧したがるものだろうけど、それもカルトの洗脳と一緒じゃないか(自発的だと思われているが強要されて刷り込まれたもの)ということかな、この文脈だと。
>ジェンダーの規範による差別というレベルでは訴えている人はたくさんいますよ。例えば、化粧するよう上司に言われたが拒否したため解雇されて裁判で争っている人がいますが、彼女は「どうして男性は化粧をしなくても解雇されないのに、女性だけ化粧することが義務とされるのか」と主張しています。
これ見て、まず「これはどこの話?」と思いました。だって日本人の普通の職場感覚で言えば、窓口などの接客部門はともかく純粋な内勤業務の場合、「化粧くらいしろよ」と言われるようなことって、ほとんどないと思うし。そもそもそういった感覚はあまり強くないんじゃないかな。仮にそう思う人がいても、それを実際に本人に向かって口にするような人は、「セクハラよ!」以前に「無神経なやっちゃな」と言われると思う。
それよりどっちかって言うと、「職場なんだから、そのケバい厚化粧はどうにかならんか」と思われるケースのほうが多いと思う。でも、これはこれで言いにくい。逆にいつもスッピンだとして、不快に思われたり文句言わたりすることって、ほとんど思いつかない。だからその話、何だかすんごいアメリカっぽいなぁと感じて検索してみたら…
http://www.usfl.com/Daily/News/06/09/0915_017.asp?id=50508
↑これか…。何だぁ、典型的なジェンダー教徒のヴァカ女じゃんw やっぱりアメリカか、と思うと同時に、敗訴になって当たり前だって。カジノで、この店の方針だろ? もちろん、「バーテンダーだということで就職したのに、実際には性風俗のホステスみたいなことをさせられるとわかった。抗議したら解雇された」とかなら、そりゃぁ不当な話だけど。
こんなもんを「差別」の「実例」に挙げてたのか…。つうかこれ、活動家がワザとやってたりして。そういう服務規定の店だとわかってて、抗議して解雇されることを見込んで裁判闘争をして。そこで自分たちの主張に世間の注目を集めようとする「戦略」だったりして。
しっかし、こうなるともはや誰のための運動なのか。少なくとも普通の働く女のためのものではないな。ジェンダー教徒が宗旨を職場で実践しても良いではないか?という訴えだな。でもその宗旨の実践というのは、そこの職場で規定を変えさせることだから、そんな信者は雇ってもらえなくて当然かと。ムスリムの職員が「定時に、空き部屋でいいからメッカにお祈りさせてもらえんだろうか。業務に支障をきたすようなことはないので」と相談するような話とは、まったく違うし。だから、
>イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。
これはちょっと。それこそムスリムへの偏見じゃないかと。私がその手の報道番組で見たのは、異教の地で暮らすムスリムの謙虚で敬虔な態度。「私はムスリムだ!私を雇った以上、社内のどこででも定時にお祈りさせていただく!」なんて横着な態度を取るムスリムなんて見聞きしない。日本で働いているムスリムも少なからずいるわけだけど、「職場の雰囲気を壊すことに無頓着なムスリム」とか「雇ったムスリムにお祈りの時間も場所も与えない職場」とかいったようなものはどちらも不寛容だと思う。だけど実際には双方が、場に合わせ、相手に合わせしていることが多いのでは。万国共通のことだと思うけど。
それに、基本的なこととして「棲み分け」をしていると思う。ムスリムのほうから見て、働きたい業種で同業2社があるとする。イスラムに偏見が多いA社と、イスラムに偏見が少ないB社。そしてB社には、先輩のムスリムもいるわけね。そしたら新参のムスリムはB社を希望するでしょう。わざわざA社に乗り込んでいって「勤務中に職場で礼拝させないのは差別だ!」なんて言うムスリムの話は聞かないな。コミュニティって、そうやって形成されていくものだと思う。
ジェンダー教徒から見れば、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになりそうなんですけどね。
>今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。
私が「成り立たないと思うけどどうか」と尋ねたことに対して、「いいえ、自分の中では、このように成り立っている」ということで、一例としてスカートなど服飾の話になったのでした。
服装や化粧その他の装飾品についても男女で異なる基準があると差別…という世界観には、もはや反論するとかしないとかいう次元じゃないような気がする。信者さんのその世界観には、「反論」は無意味というか。
「なぜこの信者さんは、こんな主張をするのだろう」「その主張は、肝心の教義とも異なっているんじゃないかな」と思って尋ねてみると、信者さんは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに嬉々として教義の意味と主張の兼ね合いを語る。そこで、観念的な部分よりは具体的な事柄について語られる部分に注目するんだけど、そのあたりになると、およそ現実社会のこととも思われず、「あぁ、聞いちゃ悪かったかな」と感じ始める…今、そんな感じです。
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