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文科省委嘱で作られたパンフというものがどの程度の重みを持つか。測定はできないので曖昧な言い方になりますが、一般にはかなりの重みを持つと言えるでしょう。芥屋さんが書いているように日本は啓発等の法律以外の形をとった事実上の「指導」をずっと行ってきました。もちろんベースには法律があるのですが、そこで細かい規定はせず、いわば「空気」によって人々を動かすべく柔らかい強制を行ってきたと言えると思います。これは「お上」に弱く、「世間」で動く日本人の特徴に合致したやり方であると同時に、問題が起こったときに責任が曖昧になりがちな原因の一つでもあるでしょう。
件のパンフのベースになっている法律はもちろん男女共同参画法です。これは国家方針だから、それに基づく予算の申請は極めて通りやすい。この法律を旗印にして様々な事業が各省庁で計画され、予算が消費されることになります。パンフもまたその一環として財団に委嘱されたものと思われます。
このパンフの性格上、個人や私企業に対して直接的影響を与えるものではありません。言い換えれば、無視すれば済むパンフです。では何に対して影響を与えるのか。公的予算に頼るところの大きい教育関連機関・施設です。それらにとってこういうパンフは「天の声」であり、その内容に合わせて業務を「改善」していけば人的配置や予算措置で「おいしい思い」ができる可能性が高くなること経験的に知っています。具体的には「雛祭りをやめる」(幼稚園)とか「さん付けで統一する」とかですね。
が、このパンフは特殊な経過を辿りました。通常この手のパンフは学校等への目に見えない強制として働くだけで一般にはあまり知られることがないのですが、今回はすぐに批判にさらされ、国会でも問題にされることになりました。こうなるとパンフの柔らかい強制力は一挙に弱まります。何しろ文科省という「お上」よりもっと上の「お上=国会」で政権与党によって批判されたのだから。
自民党の一部の圧力によると思われる文科省の「教育ご意見箱」や「男女の扱い等に関する調査」は、パンフと同様に、柔らかな強制です。但し、強制の方向は変わりました。「ジェンフリ万歳」から「ジェンフリはまずいぞ」へ。「ジェンフリを理由に雛祭りをやめた」はパンフの「強制」には合致しますが文科省「調査」が暗に示している「強制」には合致せず、マイナスに評価される可能性が高いことを現場は知っています。文科省の「調査」にはどう回答するのが得策か。調査の集計結果には各々の現場管理・監督者の考えた対応がよく反映されていると言えるでしょう。
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