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> macskaさんの「差別」の定義が、社会的に通用しないんです。
社会的にというのが一般的にという意味でしたら、その通りかもしれません。わたしはあくまでさまざまな反差別の運動の歴史をベースとした学術的な定義を提案しているわけですから、現時点において一般に受け入れられた定義とは違うのは承知のうえです。
具体的にわたしの定義がどういうものか、どうしてその定義が優れているとわたしが思うのかについては、芥屋さんが紹介していた URL を参照。近いうちブログでもきちんと書き直します。
> 社会学における「差別」は、「人種、民族、出身、門地、男
> 女などの差異に対する、偏見に基づいて、不当に相手の扱い
> を変えること、その結果、相手に不利益を与えるとこ」をさ
> していますから、偏見でも不当でもない差異がある場合は
> 「差別」とは言わない、「区別」という。
その定義は一般社会に受け入れられたものであるとは言えるでしょうが、社会学的な定義ではないでしょう。もしそれが定義だとすると、差別とは個人や企業などの個別行為のことであるということになりますが、わたしは行為は「差別的」であっても「差別」そのものではないと考えています。「差別そのもの」とは、行為が制度を補強し、制度が行為を招き寄せるという循環全体のことです。
> 女性の長髪が自由で、男性の短髪が抑圧なんて、ファッション
> に対する無知、丸出しやん。ウソだと思ったら、OLさんに聞い
> てみな。髪型に対する社会的規範は女性にもあるから……。
だからぁ、それが「ジェンダーの規範による差別」だと言っているの!(笑)
男女で違った規範があるわけでしょ?
> だから、別に困っている人がいるわけでも、訴えている人がい
> るわけでもない。そういう事象を「差別」と表現してしまうか
> ら、議論が、おかしくなるんですよ。
「男がスカート」に関しては特に訴えている人を知りませんが、ジェンダーの規範による差別というレベルでは訴えている人はたくさんいますよ。例えば、化粧するよう上司に言われたが拒否したため解雇されて裁判で争っている人がいますが、彼女は「どうして男性は化粧をしなくても解雇されないのに、女性だけ化粧することが義務とされるのか」と主張しています。
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