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バジル二世さん:
> 擁護するつもりは全くないのですが、それだったら、「基本の、き」も
> 解釈が「割れている」ので、おかしいということになります。
バジル二世さん、わたしが何を批判しているのか誤読しています。わたしも表現も分かりにくかったですから、丁寧に説明してみます。
わたしが批判しているのは、「解釈が割れる記述は駄目だ」というわけではないですよ。
むしろ、わたしの主張はその逆です。
問題となっているイラスト(怪文書)は、ひな祭りの絵に×印が付けられたものです。
そのイラストは、文脈によって複数の解釈が可能なわけですよ。というか、単体で見ればそれこそ「ひな祭りはダメだと主張している絵」だとしか見えませんが、もし「基本のき」の一部であったとすれば別の解釈も可能です。というより、最初あれが「基本のき」の一部であると(間違って)教えられて、わたしは別の解釈をしたわけです。「ええー、そんな解釈おかしいよ」と思うかもしれませんが、それはあなたの感性とわたしの感性が違うということなので、取りあえずそういうものなのだと思っていてください(今の誤読状態が解消したうえで議論するのは構いませんが、取りあえず誤解を解消することを優先してください)。
しかし、そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、文字で描写した瞬間にその一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった。これを、わたしは改竄であると批判しているのです。改竄というのが言い過ぎなら、イラストから文字に変えた時点で、議論している対象がすり替えられてしまっています。
ところがそれを批判すると、「あのイラストの解釈としてmacskaは自分の感性による解釈が絶対だと押しつけている」と反論されました。しかしわたしはそう決めつけているわけではないのです。むしろ逆に、イラストに描かれていないイコールのシンボルを文字として書き込むことが、ある特定の解釈が絶対であるかのように押しつけているのではないかと批判しているのですね。イラストにイコールの関係が描かれていると決めつけずに、「ひな祭りの絵に×の印が重ねてある」と文字で描写することができたはずであり、その方がフェアな描写のやり方でした。
以上がわたしの主張です。したがって、「おっそろしい」とバジル二世さんが感じたことは、すべてわたしの主張の誤読に基づくものなので、おそろしがる必要はありませんよ。
てゆーか、わたしが「読み手によって意味が変わる出版物は存在してはいけない」だなんて言うわけがないでしょーが。わたしに限らず、そんなことを平然と主張する論者がいるとは思えません。あまりに無茶苦茶な主張だと思えたときは、もしかしたら自分の誤読かもしれないと少しくらいは疑ってくださいな。
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