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芥屋さん:
> その一例が、このパンフに代表されるような視点からの、子育ての
> トータルな見直しを呼びかけることがヒステリーと呼ばれているん
> ですよ。
ヒステリーというのはもちろん比喩的な表現ですが、表現内容ではなく表現スタイルを揶揄する言葉ではないのでしょうか。例えば、感情的に非論理的なことをわめき散らし、議論をしようにもまったく聞く耳を持たない、というような状態に陥っているとき、その人はヒステリックに騒いでいる、と表現すると思うのです。
ジェンダーフリーの視点から子育てのあり方を見直そうという呼びかけは、それ自体ヒステリックだとは思いません。もちろん、そうした呼びかけを行なう個々の主体がヒステリックにそれを訴えているという実例はあるでしょうが、まったく同じ呼びかけを理性的に行っている人だっていても不思議ではありません。現に、このパンフの著者がヒステリックであるようには見えない。
芥屋さんはここで、「ヒステリー」という言葉の意味をわたしとはかなり違った意味で使っているのでしょうか? 見直しを呼びかけることが即ヒステリーというのは、非常に不思議な表現だと思います。
> そういうヒステリックな思想に対する批判について「デマだ!」「曲
> 解だ!」「妄想だ!」「教養のないやつが騒いでいるだけ!」などな
> どヒステリックにプロパガンダを張っているのが、あなた。ヒステリー
> を通り越してパラノイア。
ヒステリックな思想という表現が上記の通りよく分かりませんが、ヒステリックに主張する人に対する批判であれば、例えば tn さんがジェンダーフリーに批判的な論者を片っ端から統一教会の信者だとかなんとか決めつけて理不尽な叩き方をしていることを再三批判しているように、わたしもそうした批判を行なっています。
わたしが「デマだ!」と指摘しているのは、ですから「ヒステリックな主張に対する批判」一般に対して行なっているのではなく、保守でも左翼でもフェミでも関わり無く、デマであるとわたしが判断した主張についてそう指摘しているわけです。したがって、この記述はまったく不当だと思います。
> それもあなた。
パンフの内容が「全体主義だとかファシズムだとかいう批判」が有効かどうかは、わたしが「くだらないプロパガンダをやめる」かどうかに依存しないはずです。それなのに、わたしが「くだらないプロパガンダ」をやめない限りそうした批判は「ずっと有効なまま」というのは明らかにおかしいです。
だから、それはおかしいじゃないかと指摘しているのに、論理的になんの反論もせずに「恥ずかしくないのかな」という部分だけに反応して「オマエモナー」と答えるとは、お前は3年前の2ちゃんねらーかよと言いたくなります。
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