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tpknさん:
> は? 「誰が判断するのか」ではなく「どうやって判断するのか」
> 「何に照らして判断するのか?と聞いてるんですよ。
だから、このパンフはそんなことを一律にこうだと決めつける内容ではないと言っているのです。
まぁ、あえて言えば、ジェンダーに関わらず子どもに何かを押しつけた場合、子どもが嫌な思いをしたり、別の方向に伸びる可能性を押さえつけたりしてしまう可能性があるでしょう。「子育てはジェンダーフリーで」という部分を読むと、そういう事態が「ふさわしくない」という考えをパンフの著者が持っていることは分かります。つまり、弊害があるかもしれない(と著者が考えている)からこそ、「考えてみましょう」という呼びかけがあるわけですね。
しかし、「ひな祭りのどこに弊害があるのだ」と短絡的に問い詰めても意味がありません。問題はひな祭りではなく、ひな祭りなどの祝い事を含めた育児の全体において「男らしさ・女らしさ」の押し付けをやっていませんか、考えてみましょう、ということですからね。
そして、それを読んで実際に自省するかどうか、考えるかどうかというのは、明らかに読者の自由です。また、考えた結果、子育てをどう変化させるかあるいはしないかというのも、もちろん読者の自由。行政が特定の育児方針(「男らしさ・女らしさを押しつけない」)を「望ましいもの」として提示するのはウザイといえばウザイけど、この程度のウザさは行政パンフにありがちなものです。また、「男らしさ・女らしさの押し付け」に弊害があるのかどうかという点で異論もあるでしょうが、それは別の問題なので別の機会に論じてください(わたし自身は、弊害があると強く主張するつもりはないです)。
> じゃあ「あらかじめ考えを尽くして決定」するようなことのない一般
> 大衆にとっては、十分必要だとおっしゃるわけですね? 「なんのた
> めに」か依然としてはっきりしませんが。
「そんな呼びかけは必要ない」という批判はアリだと思います。わたしが論じているのはそんな部分ではなく、あのパンフがひな祭り否定の文化大革命かどうか、全体主義かどうかです。論点を逸らさないように。
> ちょっと待って。「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子な
> ので雛祭りをきちんとやります」が「あらかじめ考えを尽くして決定」
> ではなくて「たいした考えもなく惰性」かもしれないって判断はどこ
> から出てくるわけ?
えー、そんなのごく当たり前では。
むしろ、もしあなたが「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」が常に「あらかじめ考えを尽くして決定」であるかもしれないという判断をしているなら、どうしてそんな想定ができるのか知りたいです。わたしの感覚では、全ての親が常に育児におけるあらゆる行為を「あらかじめ考えを尽くして決定」しているかもしれない、などとはとても想定すらできないのですが。
> この投稿でmacskaさんが言ってきたことって、要するに、親がたとえ
> ば政治的にナショナリスティックな伝統保持主義者(あらかじめ考え
> を尽くして決定した人)である場合にのみ、この呼びかけは「必要な
> い」ということになるんじゃないですか?
まぁ、どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はありますから、そういう呼びかけは全く無効ではないでしょう。しかし、それなりの考えがあって決めた育児方針に対して行政があれこれ口出しするというのは、よほどの事情(子どもを虐待している、など)がない限りふさわしくないと思います。
> 「再帰性に自覚的になるよう呼びかけ」るって、それ、スターリニズ
> ムにも通じる危険な発想なんじゃないの?
思想というのは危険なものです。反ファシズムを掲げていてもファシズムに陥ったり、反スターリニズムを掲げていてもスターリニズムに陥ったりする例があるのはご存知でしょう。思想を持つ人は、自分がそうならないように十分注意すべきですし、他者からの批判に謙虚になるべきです。
> ここでいう「再帰性」なんてのは、「個人の勝手」とほとんど同義で
> しょう。
あー、全然違うよ。呆れた。
宮台の説明をちょっと引用したら、早速宮台とわたしの立場を同一視しだすし、どうしようもないね。
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